「格式vs.映え」の我慢くらべ

前菜を食べ終えた僕の前には、熱々のパスタがサーブされました。うさぎ肉のラグーを使ったショートパスタです。そして彼女より後から来たお客さんたちにも、前菜の皿が下がった順番で、次々とパスタが提供されました。

どうも静かな戦いが始まったようです。食事のしきたりは最低限守って欲しいと願うお店と、あくまで「一枚絵」にこだわりたい女性の冷戦です。[格式vs.映え]の我慢くらべ。この戦いの行方は如何に、と隣でヒヤヒヤしながら、ペコリーノ・ロマーノがねっとり絡まるパスタを頬張る僕。

幸い、戦いはその後すぐに終結しました。女性は、前菜を片付けない限り、待っているだけではパスタは永遠に出てこないことをさすがに察したようです。店員さんを呼び止め毅然とした態度でこう言いました。

「パスタ、早く出してもらえますか?」

店員さんはうつろにも見える表情で「かしこまりました」とだけ答え、数分後に、蟹トマトクリームソースのリングイネがそこに到着しました。僕は彼女がデザートもすぐ出すよう要求したらどうしよう、と勝手にはらはらしていましたが、幸いそこまででは無かったようです。

彼女は二つの皿とグラスとカトラリーを良い塩梅に配置すると、そのまま中腰に立ち上がり、テーブルの真上から写真を撮り始めました。

いろいろあったけど幸せそうなので良し、と僕も安心しました。

 

※本稿は、『お客さん物語:飲食店の舞台裏と料理人の本音』(新潮社)の一部を再編集したものです。


お客さん物語:飲食店の舞台裏と料理人の本音』(著:稲田俊輔/新潮社)

レストランは物語の宝庫だ。そこには様々な人々が集い、日夜濃厚なドラマを繰り広げている――。人気の南インド料理店「エリックサウス」総料理長が、楽しくも不思議なお客さんの生態や店の舞台裏を本音で綴り、サービスの本質を真摯に問う。

また、レビューサイトの意外な活用術や「おひとり様」指南など、飲食店をより楽しむ方法も提案。食にまつわる心躍るエピソードが満載、人生の深遠を感じる「客商売」をめぐるドラマ!