迎え入れる側に回ってから気づいたこと

その後僕は、忘年会に参加する側から飲食店の人間として彼らを迎え入れる側に回ります。そうなると、世の中は必ずしも、僕が経験してきたような皆が幸せな忘年会ばかりではない、ということにも気がつきました。

参加者の皆さんが「いい店だった」と満足してくれるような内容にするために、迎える側として、それこそプライドをかけて心を砕きました。しかし、こと忘年会において、少なからぬ人々にとっては、料理なんて案外どうでもいいのです。

飲んで騒げればそれでいい。そして大人数を相手にしつつ精一杯のサービスに努めようとしても、そこには傍若無人なお客さんはどうしても現れてきます。

グダグダな会が果てしなく続く中、早くお開きにならないかな、と白けきった表情の人々も否応なく目に入ってきます。

それでも、店が連日満席になっていつにない活気に溢れる12月は、肉体的にはしんどかったけど、テンション上がりっぱなしの充実した時期でもありました。

少々羽目を外すお客さんがいても、年末気分で浮かれている空気に包まれるのは悪い気分ではありません。早く帰りたげなお客さんが増えてくると、制限時間を理由にお会計に進んだり幹事さんをうまく味方に付けたりして、スマートにお開きを促すのも腕の見せ所でした。

プライドをかけた料理が大量に残されても、彼らにはもっと大事なコミュニケーションがあったのだ、と無理矢理自分を納得させました。料理はともかく店全体でそれに貢献できたのなら、それは使命を果たしたということではないか、と。