大口の宴会で得た利益を普段のお客さんに還元する

しかし何より嬉しかったのは、身も蓋もありませんが、そんな忘年会シーズンは「かき入れ時」だったということです。たくさんのお客さんがまとまったお金を落としてくれる12月は、どうかすると普段の月の倍くらいの売上がありました。

当時の帳簿を思い出してみると、一年の中のほとんどの月は、多かれ少なかれ赤字でした。それを一気に取り返すのが忘年会シーズンだったのです。当時は既に新年会という習慣はだいぶ薄れていたこともあって、12月は年に1回だけのチャンスでした。

プライドをかけた料理が大量に残されても、彼らにはもっと大事なコミュニケーションがあったのだ、と無理矢理自分を納得させました(写真提供:Photo AC)

自分たちの店は普段から、周りの店に比べて決して繁盛していなかったわけでもなかったので、おそらくそんな財政事情は多くの店に共通していたのではないかと思います。

忘年会に限らず、大口の宴会はお店を助けます。先ほど「プライドをかけて料理を提供していた」と書きましたが、それは忘年会という特需に乗っかって少々やっつけな料理を提供する多くの店よりは、多少なりとも頑張っていたということに過ぎないかもしれません。どうせ残されるから、と量を減らして調整することも、むしろ親切な必要悪でした。

忘年会ほどの頻度ではありませんが、普段開かれる宴会も基本的には同じことです。普段は個人客相手にひとつひとつ作られる料理も、大量調理に適したアレンジが施されて一気に効率が上がります。

なので正直なところ当時の僕には、大口の宴会で得た利益を普段のお客さんに還元している、という感覚もありました。多少手間がかかり過ぎても原価がかさんでも、常連さんを始めとする能動的にこの店を選んでくれるお客さんたちに、少しでも喜んでもらうためには多少の無理をしても構わない、という感覚です。