むなしさや寂しさも人生の醍醐味
若竹 老いをどう生きるかというテーマは、今後も向き合っていく課題だと思っています。内館さんは昔から活動的ですね。私とそれほど年齢に差がないのに、仕事量は雲泥の差……。
内館 書くことも横綱審議委員も大学院での大相撲研究も、好きなんです。ただ、いくら好きでも、その年齢でないとできないことがある。70代になってつくづく思うのは、やはり若い頃とは体力が違うし、持久力も違う。「いま何をやるか」は高齢者には最重要事項だと思いますね。
若竹 若い頃と違うといえば、年を重ねるといろいろなものに飽きるんですよ。私、生きることに飽きるときがあるもの。
内館 意欲がなくなることは、私もありますよ。
若竹 今日は何もしたくないなぁとか、寂しいなぁ、つまんないな、と思う日もあるし。子どもの頃、おじいさんやおばあさんが玄関や庭先に座ってぼーっとあたりを眺めている姿を見て、何をしてるんだろうと思ったけれど、この年になると老いというのはそういうことだなとわかる。
いつもプラスの感情でいるのは無理で、生きているのがむなしいと感じるときもあって、それも含めて人生なんだなって。
内館 最近はメディアでも「年齢は関係ない」「挑戦しない人間は老ける」とか言いすぎですよ。さぁ、挑戦挑戦、前を向こう、ポジティブになろうって。でも若竹さんみたいに夢をかなえた人でもむなしいとか、寂しいとか、何もやりたくないと感じることがある。それが当たり前でしょう。私は「挑戦」とか「年齢は関係ない」などと聞くたびに、「表面だけの励まし」だなあと思う。
若竹 むなしさをかみしめる日もあれば、必ずポカ~っと心に日が差す日もある。私の場合は、「あのおいしいやつ、また食べたいな」と思ったり、無心に草むしりしたり、その程度でも、ちょっと気持ちが高揚します。(笑)
内館 人は、ふだんの生活に突然、非日常が入ってくると、間違いなく高揚すると思う。たとえば、市民劇団や合唱団に入れば、発表会はもちろん、ふだんの稽古も「ハレ」なんですよ。そういった「ハレ」は、「ケ」の日常に入ってくるときめきの時間。文士劇だってそうですよ。