脚本家として長年活躍する内館牧子さんと、63歳で文壇デビューを果たした若竹千佐子さん。それぞれ紆余曲折ののちに夢を実現したエピソードから、老いの時間の楽しみ方まで――いまが充実しているわけをとことん語り合った(構成=篠藤ゆり 撮影=宮崎貢司)
老いを書く、生きることを書く
内館 若竹さんは55歳のときに夫を亡くされて、それから小説を書き始め、63歳で世に出られたんですよね。
若竹 「新人にして初老」(笑)というデビューでしたが、夢がかなってうれしかったです。10歳くらいから小説家になりたくてなりたくて。その思いが頭の片隅にずっとへばりついていたんです。
内館 私が10歳の頃は、相撲部屋のおかみさんになると決めていた。(笑)
若竹 あらぁ~。私は、結婚や子育てのなかで夢を押し隠してきました。「なりたいのに書いていない、なんて情けないやつだ」と自分を卑下することもあれば、毎日の暮らしのなかで苦しいときやつらいときは、「でも私には小説がある」と自分を励ましたり。
30代、40代の頃も「人生がこのまま終わるのは悔しい」と思っていた。そして思いもよらない夫の死によって、私の小さな幸せを奪われたような気がして、その怒りが小説に向き合う力になったんです。それから小説講座に通いました。
内館 若い頃の私はものを書いたこともなくて、映画も芝居も関心ゼロ。小説と脚本の区別もつかないし、まさか自分が書く仕事に就くとは思っていなかった。新卒で就職して、社内報を男性社員の下で作り、あとは雑用。
あるとき、男性社員から「この数字、全部加算して。それでこっちの数字で割って」と言われた。私が「これ、何の数字ですか」と聞いたら、「ああ、君はただ足して割ってくれりゃいいから」って。そのとき私は、自分の人生を自分で切り拓かないといけないと思いました。それで会社が終わると脚本の講座に通ったの。