暮らしの中には「いつも通りのこと」がたくさんあります。それは、その人なりの暮らしの積み重ねです。

松さんの新聞でいえば、40年間、会社への行き帰りの満員電車で、周りを気にして折りながらページをめくってきたこと。その日々の「新聞紙の肌触り」(触覚)や「インクの香り」(嗅覚)……。子どもの頃、チャンバラの刀や兜をつくる遊びの素材でもあったでしょう。

新聞はただニュースを届けるものではなく、五感を通じて感じ取ってきた特別な存在であり、松さんの生活の中にどっかりと定着しているのです。

その存在が届かないとなれば、松さんには一大事です。松さんが「五感を通して感じ取ってきた」新聞の存在について、ぜひ想像していただきたいと思います。

 

その後、松さんが忘れないようにとヘルパーは、明日は新聞がお休みですと書かれたチラシを机に貼ったり、日めくりカレンダーに書いておいたりするようにしました。

すると、玄関先に座り込むようなことはなくなりました。

『認知症の人の「かたくなな気持ち」が驚くほどすーっと穏やかになる接し方』(著:藤原るか・坂本孝輔/すばる舎)