そして私は母を思った

良かった良かったと安堵しながら、これが深刻な病気だったら、最初の病院で命を落としていたかもしれないと肝が冷えた。

そして私は母を思った。

大病院の大先生から母の手術の方針を説明されたとき、素人ながら父も私も少し違和感を持った。そんなに内臓を取ってしまって大丈夫なのか、と。

母は、元気だった頃からは考えられないほどか弱い声で「先生の言う通りにしましょう」と言った。反論したり、質問を繰り返したりしないでという意味だった。

母の命は母のもの。その考えはいまでも変わらないが、母の担当医が私における「最初の歯医者」だったとしたら、やるせない。

母が亡くなってから、父はずっと後悔していた。本当にあれが最善の策だったのかと。現代なら助かった命かもしれない。専門家である医者と、素人である患者との間にある埋めがたい知識の差に、私たち親子は翻弄され続けている。

何科にせよ、病院にかかると必ず母を思い出す。亡くなったのは26年も前で、母と過ごした時間よりも、いなくなってからのほうが長いというのに。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇