五代目歌六を襲名した際の演目『一條大蔵譚』より(写真提供◎松竹)

十七代目勘三郎に怒られながら

歌六さんの父・二代目歌昇は病弱だったので、早くに舞台から遠ざかり、以後脚本家として活躍した。だから歌六さんの実際の師匠は、大叔父に当たる十七代目勘三郎と言える。

――勘三郎の大叔父が僕を役者にしてくれたようなものなんです。ずいぶん怒られましたけどね。怒られた量は僕が一番だと思う。(笑)

役者は役がつかなきゃ教わりにいくわけにはいかないんです。その点、昔の国立劇場はすごかったんですよ。青年歌舞伎祭といって、若手の勉強のために小劇場を8月いっぱい開放してくれたんです。そこで3日間くらいずつ会場を取り合って、勉強会を開いてました。

僕たちの「杉の子会」には私や哲明(十八代目勘三郎)ちゃんや(五代目)時蔵さん、弟の又五郎、信次郎(二代目錦之助)くん、岡村清太郎(清元延寿太夫)くんや(市村)家橘さんもいて、それはもう十七代目のおじさんが100パーセント、厳しくお稽古してくださるから、他の役のことも覚えられるし、いい勉強になりました。

他にも(二代目)白鸚兄さんと二代目吉右衛門兄さんの「木の芽会」。亨兄さん(初代尾上辰之助)や菊五郎兄さんたちの「あすなろう会」。成田屋の先代團十郎兄さんたちの「荒磯会」や、澤村藤十郎兄さんとか、(市川)段四郎さんもやってらしたし。

国立が何年間か便宜を図ってくれて、とにかく会場費がかからないから、そこそこの赤字くらいで勉強会ができた。あれでみんな引き出しを増やすことができたんですね。