比べることはどうしてもやめられなかった
母は情けなくなった。とても見ていられなかった。ところが目はパソコンの画面に行ってしまう。
勇ちゃんの様子が気になって、カメラを切り替え、どこに息子がいるのかを探し、その様子を見続けた。そして落胆することのくり返しだった。
母は勇ちゃんのお迎えの時間がしだいに苦痛になっていった。園に向かうと胸がザワザワする。
もし、保育士から「今日も保育室に入れませんでした」と言われたらどうしよう……「また集団行動が取れませんでした」と報告されたらどうしようと思うと、園に足を踏み入れることすら恐怖になった。
保育士からそんなことを言われないで済むようにと祈りながら、母はパソコンの画面を食い入るように見つめた。
勇ちゃんと健常児を比べることはどうしてもやめられなかった。ダメとは分かっていてもやめられなかった。仕事中でも同じだった。
幼児教室に通ってくる子どもたちを見ると、なんてちゃんとしているのだろうと思わず息子と比べていた。
自分は勇ちゃんにあれほど、胎教から始めて英才教育を施したのに自閉症が明らかになってしまい、ごく普通に、あるいは適当に育てられてきた子どもの方はまったくの健常児として勉強をしている。
なんていう皮肉な運命なのだろうかと母の気持ちはますます沈んだ。
※本稿は、『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(著:松永正訓/中央公論新社)
人の気持ちがわからない。人間に関心がない。コミュニケーションがとれない。勇太くんは、会話によって他人と信頼関係を築くことができない。それは母親に対しても
同じだ。でも母にとっては、明るく跳びはねている勇太くんこそが生きる希望だ。
幼児教育のプロとして活躍する母が世間一般の「理想の子育て」から自由になっていく軌跡を描いた渾身のルポルタージュ。子育てにおける「普通」という呪縛を問う。