己の失敗を詫びるときは、さすがに無愛想ではいられない。明日美は体の前で手を重ね、深々とお辞儀をする。精算を済ませて顔を上げると、カウンターの向こうのひかりと目が合った。
「やれやれ」と言いたげに苦笑してから、ひかりは隣に立つ求を顎先で指す。ちょうど向かいにいる客に、料理を提供しようとしているところだった。
「アジフライす。百九十円もらってきますね」
「ん、それから鶏皮」
「タレ、塩?」
「塩」
「はい、鶏皮塩いっちょう!」
最後だけ声を張り上げたものの、やり取りは淡々としたものだ。丁寧な言い回しは、この店のスピードには適さないのだと悟った。「タレでよろしいですか」などと聞かれたら、客のほうでもイライラして被せ気味に答えてしまう。そのせいで、オーダーミスが起こったのだ。
ひかりに視線を戻してみると、したり顔で頷き返してくる。そうしている間にも、カップル客の男のほうが「すみません」と手を挙げる。
「はい、ただいま!」
接客というのは、実に奥深い。
ノンストップで動き回っているうちに、気づけば午後四時を過ぎていた。
普段は座り仕事のため、すでに足が痛い。もしやこのまま閉店まで働かされるのかと、だんだん不安になってきた。床には煙草の吸い殻や紙ナプキンといったゴミが増えてきたし、空気も悪い。せめて五分だけでも、座ってひと息つきたかった。
「おう、求じゃねぇか。久し振りだなぁ、オイ」
カウンターから聞き覚えのある声がすると思ったら、擦り切れたキャップ帽を被った「タクちゃん」が来ている。求とは顔見知りらしく、和やかに笑いかけている。
「ああ、タクさん。はい、今日から週六で働くんで、よろしく」
取引のある魚屋の定休日に合わせ、この店は火曜が休みなのだという。それ以外は朝から夜まで働きづめで構わないと、求は言っていた。
「そうか、精が出るなぁ」
「まぁね、時さんには世話になったんで」
そこまでするだけの恩義が、本当にあるのか。時次郎はこの青年に、いったいなにをしたのだろう。
「こんな俺でも洗い物くらいはできるからさ、ヤニ休憩でもしてきなよ」
「いいんすか。じゃあ、ひかりさんも」
「今手が離せないから、先に行きな」
「じゃ、遠慮なく。あざーす」
日本全体で見れば喫煙者数は激減しているはずなのに、この店の喫煙率は昭和なみだ。若い求も吸うらしく、客の間を縫ってゆき、居住スペースとの境目の暖簾を掻き分けた。
なるほど階段の手前に置かれていた机と椅子は、休憩用か。それならあんな邪魔なところに置かれていたわけも分かる。
ところで喫煙者でないと、休憩はもらえないのだろうか。せめて水分補給とトイレは済ませておきたいのだが、明日美を嫌っている「タクちゃん」や求にそんな配慮は望めない。ひかりが一服を終えた後で、自己申告するしかないか。
小さくため息をついてから、客が帰った後のテーブルを片づける。ビールジョッキの把手を手にしたタイミングで、二の腕を掴まれ強く引かれた。まだ中身が残っており、危うく零しそうになる。
「わっ!」
叫び声を上げて肩越しに振り返ると、休憩に入ったはずの求が顔をまっ赤にして立っていた。
「勝手口の鍵閉めたの、アンタ?」
語気荒く問いかけられて、とっさに反応ができなかった。呆気にとられている明日美に対し、求は苛立たしげに舌打ちをする。
「アンタ以外に、いないと思うんだけど」
たしかに、閉めた。だって開けっ放しじゃ不用心だ。あたりまえのことをしたまでなのに、こんな剣幕で責められる理由が見当たらない。
「はい、閉めました」
「ふっざけんなよ!」
振り払うように明日美の腕を放し、求は厨房へと身を翻す。