「結婚するなら婿に入っていただけませんか」

父に面倒をみてもらったことがないと言いましたが、ひとつあるとしたら、本木(雅弘)さんを紹介してもらったことです。年に1回、父の日に会うというのがルール。ところが15歳の時の父の日に、すっぽかされてしまったんです。翌日電話がかかってきて、「昨日はごめんな」もなく(笑)、今すぐ来い、と言われて。

それが、父がプロデュースした映画『魚からダイオキシン!!』の打ち上げか何かの場でした。一人でポツンとしていたら、出演者の一人だった本木さんが声をかけてくれ、お互いに自己紹介したのです。

その後、私はスイスの高校に進学し、16歳の頃から本木さんと文通をするようになりました。私が「スイスに会いに来てくれるんだよ」と言っても、母は娘の交際相手だとは思っていなかった。母も映画で本木さんと共演した経験があり、「あの人はゲイだから大丈夫」と言っていた。(笑)

彼が結婚したいと言ってくれた時、母は「うちは一人娘だし、内田家を存続させたいから、結婚するなら婿に入っていただけませんか」と言いました。本木さんは一瞬驚きましたけど、新しい旅に出るみたいな感覚で面白がって飛び込んでくれたようです。

母は、「本木家のご両親と裕也のためにも、結婚式はきちんとしましょう」と。明治神宮での古風な結婚式とロックンローラーというギャップが異様でしょう? 招待客もごく身近な親類をのぞくと、裕也の知り合いが大半を占めて。私たちの友人はほとんど呼びませんでした。

母はいつも父を立て、父親不在の家庭に「見えない父」をしっかり君臨させながら私を育ててくれました。私は永遠にファザーコンプレックスを抱えて生きていくのかもしれません。

本木さんと交際中は離れて暮らしていたこともあり、結婚して初めてお互いのことを知った、というのが正直なところです。彼は、自分のペースで少しずつ歩いていきたいタイプで、横を見ると家族それぞれが自分の道を歩いている、というのが好き。でも私はそれを、ちょっと冷たく感じてしまいました。

まだ19歳でしたし、恋や結婚に夢もあった。なにもかも共有したいし、共感してもらいたくて、かわされると怒りが爆発してしまう。結婚当初は、ずいぶん喧嘩をしたものです。