応援してる人がいる劇団のことを考えています。とても悲しいニュースが先月に出てからは、ふとしたときにとても悲しくなって、不安になってしまう。私が応援してる人たちの話であって、私の話ではないのに、私はどうしても落ち込んでしまうし、何もかもがわからない。どうしたらいいのかなんて、すこしもわからない。手紙を書くときは、強い人のふりや優しい人のふりをして、でもそうするとはっきりと「ふり」じゃなくて「本当」の愛情の話ができ、そこで救われてもいます。

 私はあんまり自分のファンとしての態度に自信がなくて、ちゃんと応援できているのだろうかとか、迷惑じゃないかなぁとかすぐ考えてしまうのだけれど、手紙を書くときだけはちゃんと、なりたい「ファン」になれている気がする。錯覚かもしれないけど。こんな時でさえ、この人に、私は救われているなぁと思うと、切ないです。具体的にどうしてほしいなんて一つも書けないけれど、秋の話をいくつか書いた。

 好きと言いたいだけなのだろうなと思う。好きという言葉に全部含まれているなぁと思う。昔書いた「限界人魚姫」という小説の中の文章を引用します。

「あの人は全ての光に祝福されるようにして照らされる自分の姿を見ることができないのです。暗闇の水から顔を出し、あなたをあなたが見つめることなどできないのです。そうして私は伝える術を持たない。あなたに、あの時の私の思いを少しでも知ってもらえたら。あなたが不安でたまらない時、悲しくてたまらない時、ただ励ます光となれたら、私は嬉しい。」 

 手紙をまた書こうと思います。