グライダーの模型を手にする盛田正明さん(写真:『人の力を活かすリーダーシップ: ソニー躍進を支えた激動の47年間 錦織圭を育てた充実のリタイア後』より)
全米オープン準優勝、日本人男子の最高ランキング更新などの実績を誇るプロテニス・錦織圭選手。先日開催された「木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップス2023」では、残念ながら欠場を発表しましたが、その錦織選手はソニー・アメリカ会長も務めた盛田正明さんが設立した『盛田正明テニス・ファンド』でジュニア時代を過ごしています。その盛田さん、「私はベータマックス対VHS争いの“戦犯”」だと言っていて――。

“タイムシフト”という考え方

実は、私は1967年頃、家庭用ビデオテープレコーダー『ベータマックス』の開発・マーケティングの指揮を執る責任者でした。ですから、私は(ビデオ規格・ベータマックス対VHS争いの)“戦犯”と言っていいです。

あの頃、ビデオは、世の中で放送用のものしかありませんでしたが、家庭用のビデオを作ろうと井深大さん(ソニー創業者の一人)が発想して、試行錯誤の末、最初にできたのが、『U‐マチック』という結構大きなものでした。

井深さんが、「ポケットに入るサイズにしろ」と言って、さらに小っちゃいものを作ろうとして、1973年に木原信敏さん(当時主任研究員)が、ベータマックスのサイズを考えました。

その当時、ビクターさんもビデオをやっていましたが、それがVHSビデオテープでした。松下電器さんも開発中で、ベータマックスとVHSのどちらにしようかという状況でした。

たった一つ、ソニーの考え方がこれまでとちょっと違っていたことがありました。

われわれはいつもグローバルにと考えていましたが、ベータマックスを商品にしようと思った時に、やはり日本で最初に商品にしないとダメだろうと考えたのです。日本ほどテレビをよく見ていた国民はいませんでしたから。

国民的テレビ番組のNHKの大河ドラマとか朝ドラは、みんなが見ていました。しかし、その時間に自分に何か用があって見られないことがあります。だから、兄の盛田昭夫(ソニー創業者の一人)は、テレビには“タイムシフト”が大事だと考えたのです。

テレビ局が、この時間がいいと思って放送しているけれども、あれはテレビ局が一方的に、ここがいいと思って考えた時間なので、それを自分の都合のいい時間にシフトしてテレビを見る。

あらゆるテレビにビデオをつけて、自分の見られないものは録画して、自分の都合のいい時間に見る。“タイムシフト”をして、初めてテレビが完成するのだというのが、昭夫の、そして、ソニーのコンセプトでした。

大河ドラマは45分の番組でした。1時間以上の番組はあまりありませんでした。それで、ソニーは1時間録画できれば十分だという考えでスタートしました。