「普通の手袋じゃダメなのよね」
「ダメってこともないですけど、滑ると危ないのでやっぱり革製で、しかも肌に密着するようなものじゃないと」
 滑って危ないのは本人じゃなくて周りの人なんだ。でも、ここで打つ分にはケージがあるから一応は大丈夫だけれど、ひどい人はボールじゃなくてバットをホームランさせてボコボコにしちゃったりするから。
「やっぱりもう野球はできないのね。菅田くんは」
 グローブを出すと、付けようとしながら言う。
「できないことはないです。バッティングセンターで少し打つぐらいなら何でもないですよ」
 でも、中途半端にやると余計に危ないから。
「それで?」
 両手にグローブを付けて、なんだか嬉しそうにして先生が言う。
「訊きたいことって、なぁに?」
「夏夫くんから、頼まれたんです」
 唇を、少し曲げた。
「やっぱりその話ね」
「夏夫くんのお父さんと、お母さんの話。先生は、高校時代のお母さんのことをよく知っているんじゃないかって。どうして、二人は出会ってそういうふうになってしまったのかを知っているなら、教えてほしいと」
 ふぅ、って息を吐いた。
「まさか夏夫くんが、〈バイト・クラブ〉にいたなんてね」
「びっくりしますよね」
 頷いた。本当にしたと思う。まさか僕以外に知っている生徒がいたなんて。しかも、高校時代の知り合いの息子がって。
「そういうことなら、菅田くんは聞いたのね? 夏夫くんの父親が、やのつく人だって」
「聞きました。皆に話しているので、知っています」
「そっか。話しているのね」
「隠すつもりじゃなくても、後で知ってしまって変な思いをされるのは嫌だからって、言ってました」
 うん、って頷く。
「会ったこともないそうです。うんと小さい頃に家にたまに来ていたおじさんがいたのは何となく覚えているけど、あれがそうだったのかな、って」
「顔も知らないのね」
「知りません。会いたくもないって言っていますけど、自分の母親がどうしてそんなことになってしまったのかは、知っておきたいって」
 気持ちに、ケリをつけたいみたいな感じなんだと思う。
 普通の人は、ヤクザの情婦みたいなものになろうなんて思わないはずだ。でも、なってしまう人は、いる。
「たぶん、夏夫くんはお母さんのことは好きなんだと思います。ちゃんとしている母親だって。でも、そういう人がどうしてっていう思いが、自分のいろんなものに影響を与えてしまっていて、それがたまらなく嫌なんだと思います」
 僕を見て、小さく頷いた。
「そういうのが、わかるのね。菅田くんも」
「なんとなく」
 夏夫くんにも言ったけれど、全然違う状況だけど、感じている気持ちは同じ気がする。それは、ひょっとしたら〈バイト・クラブ〉に来ている皆が同じように感じているもの。