「芸人というのは悔しくないとダメなんですよ。歯を食いしばって、何とか追いつこうとする」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第23回は文楽人形遣いの吉田玉男さん。中学二年生の時、たまたま近所の人形遣いの人から手伝いの声をかけられ、文楽の世界に足を踏み入れたそうで――(撮影:岡本隆史)

ふとした偶然から文楽の世界に

人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉男さんの遣う立役人形は、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の菅丞相(かんじょうじょう)とか、『義経千本桜』の平知盛とか、高位高官の悲劇の人物。

『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の熊谷次郎直実や『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』の唐木政右衛門など、武将や剣豪。こういう人形は柄が大きいだけにずっしりと重い。それを掲げて舞台中央でじっと動かずにいるのはつらいことだ。

でもこの時にこそ、人形遣いが長年培ってきたものが内側から光を放ち、それが舞台の花となる。

初代吉田玉男はまさにそうした立役遣いの重要無形文化財保持者(人間国宝)だったが、その愛弟子の二代目も着実に同じ道を歩んでいる。このたびめでたく人間国宝に認定された。

――いやぁ、もうね。吉田和生さんも桐竹勘十郎さんもだし、吉田簑助師匠も、引退はしておられるけど人間国宝ですからね。これだけおられるから僕はもう無理かな、と思ってたんですよ。それで僕と家内とで知人のお宅にお邪魔してた時、スマホに電話があって、えーっ!!ってなって。

どうしたらいいのかな、って家内に言ったりして。驚きで、帰る時もなんか足が地につかない、って感じだったんですよ。帰ってからも朝方まで眠れなかったですね、それぐらい興奮してしまって。

一番喜ばせたかった両親はもう亡くなってますけど、お袋の妹が元気でいますからそこと、勘十郎さんには絶対電話せなあかんと思って。彼がいたから、僕がここまでなったのでね。勘十郎さんも、「よかったよかった」「シャンパン開けるわな」って。僕は飲めへんけど、一人でうちで祝杯上げてくれてね。

僕と勘十郎さんは、ほとんど同時期に文楽の世界に入って、彼は器用やし、僕は不器用で、何かと後れを取るんですけど、うちの師匠が「お前には競争相手というものがおるのはものすごいいい勉強になんねんやぞ。それをやっぱりついていかなあかん」って。

悔しい時もいっぱいありましたからね、でも特に芸人というのは悔しくないとダメなんですよ。歯を食いしばって、何とか追いつこうとする。もう一生、勘十郎さんとは繋がっていくと思うんですよ。一緒に出てない時は、その舞台は必ず観に行きますしね。