内閣府発行の「令和4年版高齢社会白書」によると、介護保険制度にて要介護または要支援の認定を受けた65歳以上の人は、655.8万人におよぶそうです。そのようななか「親の介護はある日突然やってきます。私の場合もそうでした」と語るのは女優の柴田理恵さん。富山で一人暮らしをする柴田さんのお母さんは、腎盂炎をきっかけに入院し、要介護4と認定されました。柴田さんいわく、お母さんが頑張ってリハビリに取り組めるよう、鼻の先に2本のニンジンをぶら下げることにしたそうで――。
母をその気にさせた「ニンジン作戦」
母は定年を前にした54歳のとき、38年間務めた教師の仕事を辞めました。生徒の親や子どもを取り巻く環境の変化に、どうにも馴染めなくなったのが理由でした。
親からは教師を敬う姿勢が感じられなくなり、子どもに何かあるとすぐに親が出てきて教師の責任を問う。母の世代の教育の仕方が通用しなくなったのです。
若い教師の仕事とプライベートを切り分けるドライな姿勢にも違和感を覚え、衝突することも少なくなかったようです。もはや家庭を脇に置いても仕事に生きる「怖い教師」の時代ではない―。そう思い、自ら幕を下ろしたのでしょう。
退職後は、地元の婦人会の会長をし、幼稚園や小学校などで子どもたちにお茶を教え、地域の人たちに謡を教えるようになりました。
お茶は学校の茶道教室で、謡は自宅で教えていたのですが、長年教師をやってきた母にとって、子どもたちや地域の人たちに日本の伝統文化を教えるのは何よりの生きがいになっていました。
だからこそ母は、東京で私と同居するより、富山で一人暮らしを続けたい、と強く望んだわけです。
ならば、今後の母のリハビリや退院後の一人暮らしは、その生きがいを目標とし、励みにすればいいのではないか、そう思いました。
すると連想ゲームのように、母はお酒が好きだから、これも背中を押すのに使える! とピンときました。
二度目に富山の病院を訪ね、順調に回復しているのを確認した私は、母が頑張ってリハビリに取り組めるように鼻の先に2本のニンジンをぶら下げることにしました。