(写真はイメージ。写真提供:photoAC)
青木さやかさんの連載「50歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、50歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。
今回は「愛犬おっぽを見送った人として」です。

前回「愛犬おっぽが亡くなって1年が過ぎた。わたしは今もあの時の悲しさを閉じ込めたままにしているんだと感じる」はこちら

老犬介護の日々を振り返る

昨年末、おっぽが亡くなった。17歳だった。

16歳を過ぎた頃から、これを老犬介護というのだろうか。大変なこともあった。外でしかトイレをしないので朝晩は散歩(というほど歩かないが)に連れ出したが、おしっこが近くなったので家の中でもしてしまうようになりオムツになった。

これが合うかあれが合うかと色々と試したが、はずれたり漏れたりして、床が染みになり、帰宅すると窓を全開にして掃除をする日々だった。臭いがなかなかとれなくて溜め息つきつつ、あれやこれや試した。わたしは家を綺麗にしておくのが好きだから、おしっこ問題は、なかなかのストレスだったが、おっぽの前では出来るだけ「大丈夫だよ~」と笑顔を作った。(それがまた怖かったのではなかろうか!)

おっぽは毎日可愛かった。
ごはんもたくさん食べた。
ほとんどの時間寝ていた。
起きている時間は家の中を歩き回っていた。