京都の魅力を損なう「オーバーキャパシティ」
京都の銀閣寺はアプローチがすばらしいお寺です。総門を越え、右手に直角に曲がると、椿でできた高い生垣に挟まれた、細く長い参道が続いています。
俗世間から離れた参道を歩くことで、これから将軍の別荘に入っていくのだ、という期待感が高まるように緻密に設計されています。
しかし現在、総門を折れて最初に目に入るのは、参道を埋め尽くした観光客の人混みです。生垣の内側に人がひしめく様子を見ると、外の俗世間の方が、まだ落ち着いているぐらいに思えてしまいます。
名所に人が押し寄せるという「オーバーキャパシティ」の問題は、世界中の観光地が抱える一大問題です。京都市内も例外ではなく、各所にそれが生じています。
たとえば20年前には、京都駅の南側に観光客はそれほど流れていませんでした。伏見稲荷大社も、境内は閑散としていたものです。しかし今は、インスタ映えする赤い鳥居の下に、人がびっしりと並ぶ眺めが常態化しています。
神社仏閣の境内には深い精神性が宿っています。神の存在を感じる神社、仏の無言の静けさに触れるお寺。その奥深さこそが京都の真髄です。それが観光に侵されてしまうと、京都文化の本当の魅力が薄れてしまいます。
ここまで観光客の数が多くなると、傍若無人な振る舞いをする人も出てきます。
伏見稲荷大社では、マナーの悪さにへきえきした門前町の店が苦情をいってきても、神社側としてはどうしようもありません。外国の小銭が入った賽銭箱は、選別するのに労力がかかるし、両替もできません。
お寺は拝観料を取ることができますので、ある程度の調整ができますが、神社の多くはそうしていません。伏見稲荷大社の観光客過剰問題は、なかなか解決しにくいものと思われます。
オーバーキャパシティがもたらす弊害は、いくつも挙げられます。が、マネージメントの方法として、入場料の引き上げ、拝観人数の制限、予約制など、打つ手もいろいろと考えられます。
たとえばアテネのアクロポリスでは、時間帯によって人数制限をかけています。京都でも西方寺(苔寺)や桂離宮などで以前から予約制度を取り入れていますが、銀閣寺をはじめ、ほとんどの寺院はまだ制限を導入しておらず、混み合いは増すばかりです。