文部科学省が発表した「21世紀出生児縦断調査(平成13年出生児)」によると、約6割が1ヵ月間で1冊も本を読まないそう。「自分の人生で経験できることには限りがあり、読書によって他者の人生を追体験することから学べることは多い」と語るのは、哲学者の岸見一郎先生。今回は、岸見先生が古今東西の本と珠玉の言葉を紹介します。岸見先生が、医師から父親の延命治療について相談されたときに考えたこととは――。
まだ行かせるわけにはいかない
それでもなお私は、その一言が言えるようになるまで、長いことそこにじっと座っていなくてはならなかった。身をかがめて父に精一杯近づき、その窪んだ、台なしになった顔に唇をくっつけて、私はようやくささやいた―“Dad, I’m going to have to let you go.”(父さん、もう行かせてあげるしかないよ)。
(フィリップ・ロス『父の遺産』柴田元幸訳)
脳腫瘍の父親を息子のロスが看取る。
人工呼吸器をつなぐかどうか決断を迫られた時、ロスはどうしていいかわからなかった。機械を使うことを拒めば、父は苦闘を続けなくてもすむ。でも、どうしてノーといえよう。
〈私の父の生命、私たちが一度しか知ることができない生命を終えてしまう決断を、どうして私が引き受けられよう?〉 (前掲書)
ある日、父が排便に失敗する。泣き出しそうな顔の父。息子は黙々と掃除をする。
嫌悪感を捨て去り、やり終えてみると、あらゆるものが違って感じられる。人生には慈しむに足るものがたくさんあるのがわかる。
〈こうして、仕事を完了してみて、なぜこれが正しいのか、なぜしかるべき行いなのか、私はこの上なく明確に理解した。あれこそが父の遺産なのだ。あれを掃除することが、何かほかのものの象徴だからではない。むしろ何の象徴でもないからだ。あれを掃除することこそ、生きられた現実そのものであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ〉 (前掲書)
私も父の介護をしていた時、何度も下の世話をした。母が入院していた時には、病院の屋上にあった洗濯機で母のオムツを洗った。
ロスは今後訪れるであろう悲惨を思い描き、すべてが見えたと思った。