(写真提供:シルエット AC)

『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマには多くの貴族が登場しますが、天皇を支えた貴族のなかでも大臣ら”トップクラス”の層を「公卿」と呼びました。美川圭・立命館大学特任教授によれば、藤原道長の頃に定まった「公卿の会議を通じて国政の方針を決める」という政治のあり方は、南北朝時代まで続いたそう。その実態に迫った先生の著書『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』より一部を紹介します。

「公卿」と呼ばれる地位について

公卿というのは、律令制のもとでは、四位・五位に相当する官人を含んで呼んでいたらしく、奈良時代にはそのような例が多い。

しかし、平安時代になると太政大臣、摂政・関白、左大臣、右大臣、内大臣、大納言(権大納言含む)、中納言(権中納言含む)、参議のことをいうようになるが、それらの官職に就いていない者も公卿の列に加えられた。

三位以上の者はすべて公卿ということになるが、参議であれば四位であっても公卿とされた。