(写真提供:Photo AC)
2023年春の国家公務員採用総合職試験で、減少傾向にあった東大生の合格者がついに200人を割り、話題になりました(数字は人事院発表)。一方、元労働省キャリアで公務員制度改革に関わってきた行政学者・中野雅至さんは「90年代以降の行政改革の結果、官僚は政治を動かすスーパーエリートと、下請け仕事にあくせくするロボットに二極化。その結果が東大生の”官僚離れ”を招いた」と主張します。今回その中野さんの新刊『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』より一部を紹介。”嵐”の改革30年間を経た官僚の現状に迫ります。

悲惨な職場と指摘されて久しい「霞が関の中央官庁」

「ブラック霞が関」「人生の墓場」など、霞が関の中央官庁は悲惨な職場であると指摘されて久しい。かつてエリートの代表だったキャリア官僚の志願者が激減していることも同様だ。東大生の志望者が年々減少しており、このままではいつかゼロになるのではないかという危惧さえある。

不可思議なのはここからだ。

なぜ、ここまで悲惨な状況に陥っているにもかかわらず、抜本的な対策が打たれないのだろうか?

人口減少や少子高齢化と同じ理由だ。キャリア官僚の志願者が少なくなり、霞が関で働く官僚のモチベーションが低下したとしても、短期的には、国民には目立った痛みがないからだ。

その一方で、人口減少に関連づけて言えば、痛みを実感した時にはすでに手遅れで何ともしようがない。

おそらく、これから10年もすれば、今以上に介護難民が激増するだろうし、運転手不足でタクシーやバスがなくなる中、都心部から離れて暮らす多くの高齢者が買い物難民になる可能性が高い。その時になって、介護保険料を少しくらいなら上げてもよいと言ったところで、すべては後の祭りだ。

それでは改めて、霞が関や官僚の機能不全とはどういう要素で成り立っていて、国民はどういう形でその影響を実感するのだろうか?