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連載「相撲こそわが人生~スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間務めながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります

亡くなった人の画像

70歳を越えて、独身の女性の友人たちとは、家族はもちろん本人が亡くなっても香典は不要と決めた。少ない年金から介護保険料や国民保険料を引かれ、年と共に検査やら入院やらで医療費がかかるようになった。

亡くなった人よりも自分が生き延びるためにお金を使おうということになった。

さらに少人数で行われる家族葬が増えて、葬儀に友人が呼ばれることがなくなり、亡くなった友人の兄弟姉妹も交友関係を知らないのである。

葬儀への考え方が変わっていると同時に、故人への感覚も変わってきた。

コロナ禍の前のことだが、病院の待合室で、知り合いの独身の60代の女性に声をかけられた。彼女の隣りの席が空いているので、坐れというのだ。

私が座ったとたんに、故郷にいる父親が亡くなったこと、遺産をたくさん残してくれたことを話し出した。

そして「私の父よ」とスマホの画面を私に向けた。どんな人だろうと見て、「わかった」と言い、すぐ目をそらした。彼女は画面を閉じようとせず、「お棺の中の父を撮ったの」と大きな声で言った。

スマホが登場してから、棺の中の写真を撮るのを葬儀で初めて見た時は驚いたが、親族だから良いと思った。しかし、会ったことのない人を「生前の父です」と見せられるのは良いが、「お棺の中の父です」と写真を見せられのはどうして嫌なのかは、医学博士で解剖学者の養老孟司先生ならすぐわかるだろう。

嫌なのは私だけだろうか?と思ったら違っていた。

彼女が呼ばれて診察室に入ったとたんに、私の回りに坐っていた人たちが私の方を向いて言った。「死顔の写真を見せるなんて非常識だわ」、「亡くなった人に失礼よ」、「余命宣告をされるような科だったら追い出したい」、「ここで遺産の自慢をするのも常識がない」。前の椅子に坐っていた高齢の男性が振り向いて言った。「ああいう人とは付き合わない方がいいね」。

私は「すいません、すいません」と、彼女の代わりに回りの人に謝った。どうして私が謝らなけらばならないのかと思いながら…。