──著書のタイトルは『気がつけば、終着駅』。どういう思いでつけられたのでしょうか。
もうおしまい。それだけのことですよ。とにかく、まっしぐらに生きてきました。あまり先のことを考えずにここまできたけれど、気がついたら人生の終わりに来ていた。
私の干支は亥ですからね。猪突猛進してきて、80代までは歳のことを考えなかった。それが90を過ぎると五感は衰え、体はあちこち悪くなってきて。そこで初めて人生の終わりに来ていることに気がついた、ということです。
今回の本は、50年以上前から今日までに『婦人公論』に書いたものを集めたものです。『婦人公論』からエッセイの依頼を受けたのが、プロの作家としての私の第一歩でしてね。それが昭和40年ごろでしたかね。
その時から今日まで50年あまり『婦人公論』とおつきあいしてきたわけで、その50年の間に世間も変化し、私自身も変化してきました。その間のエッセイを年代順にまとめると時代の推移が見えて面白いかも、と思って、本を出してもらう気になったんです。
初エッセイは「悪妻」について
──芥川賞候補になった小説「ソクラテスの妻」がきっかけで初めてエッセイを依頼されたのは1963(昭和38)年。39歳だったこの頃は、佐藤さんの人生においてどのような時期でしたか。
売れない小説家でした(笑)。2度目の結婚をして娘が生まれ、夫の田畑麦彦も作家を目指していました。ちょうど、田畑の父が亡くなって、夫婦で売れない小説を書いていることができるくらい遺産をもらうという、結構な身の上でしたので、傍目にはのらくら夫婦に見えていたと思いますよ。いや実際のらくらでしたね、夫婦とも。その後でドカッと罰が下りましたけど。
わが家は同じような小説家志望の友人のたまり場のようになって、夕飯は私の家で食べるのが当たり前みたいに思ってる手合いがいたんですよ。のらくらの私の中にも眠っていた「主婦気質」というようなものが目覚めてきて、怒ってばかりという生活に。
それで書いたのが「ソクラテスの妻」です。あの作品によって私は、男を攻撃する女としての立場を確立したんです。確立ってのもヘンだけど(笑)。つまりは原稿注文が来るようになったってこと。