電気の歴史を反映する送電線
京都駅の烏丸(からすま)口に降り立って振り返れば、景観論争の末に出現した地上16階建ての巨大な駅ビルがそびえている。
日本一の長さを誇る0番ホーム(旧1番ホーム)に接するだけあって横幅は470メートル、高さは60メートルに及ぶ。駅前の標高は29メートルなので最上部は89メートルということになる。
ところで10キロほど離れた琵琶湖の水面の標高は85メートルだ。
見上げた駅ビルのおそらく最上階の床近くに日本一の湖が水を湛えているとは想像しにくいが、その大きな落差に昔からピンとくるのが電源開発にかかわる人々であった。彼らは急流や高所の湖を見ると無性にタービンを回したくなる。
明治維新の後で繁栄を東京に持っていかれる危機感をバネに立ち上げられた一大プロジェクトが、琵琶湖の水を京都へ引く琵琶湖疏水(そすい)であるが、緩い勾配で南禅寺の近くまで引いてきたその水の一部を落としてタービンを回す。
これを実現させたのが本邦初の商業用水力発電所の蹴上(けあげ)発電所で、その電力で京都電気鉄道(後に京都市電に併合)が日本で初めて電車の営業運転を始めた。
この発電所が運転を開始したのは明治24年(1891)だが、地図記号に発電所の記号が登場したのは「明治33年図式」であった。
もっとも実際にはひとつ前の「明治28年図式」の地形図から同じ記号が用いられており、「発電所」という新時代の装置を、図式改訂を待たずに記号として速やかに追加すべきだと陸地測量部(国土地理院の前身)内で判断したのだろう。
歯車由来の「工場」に似たこの記号は、現在に至るまで珍しくモデルチェンジされていない。細かく見れば現在の記号は左右の「手」のような部分の縦線が戦前よりずっと長くなっているけれど。