『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』。24年12月1日の放送では「刀伊の入寇」が描かれる予定です。藤原隆家が花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、力を失った伊周・隆家兄弟でしたが、その隆家、実は<日本を救った英雄>とも言われています。道長の全盛期に九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られるなど、特に対馬・壱岐は壊滅状態に。突如瀕した国家の危機に対応したのが隆家だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介した記事を再配信いたします。(初回配信:2024年05月23日)
対馬・壱岐への侵攻
そもそも刀伊の入寇とは…
藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。
道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。
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寛仁3年(1019)3月末より、対馬・壱岐から北九州一帯を襲ったこの外寇事件について、基本となる『朝野群載』(平安後期に編纂された詩文・文書集)を参考にしながら跡付けていこう。
寛仁3年3月28日、刀伊の兵船五十余艘が突如、対馬に現れ、殺人・放火をほしいままにした。
同じ日、壱岐も同様に彼らに攻略されるところとなった。