(写真提供:Photo AC)
「『ああすれば、こうなる』ってすぐ答えがわかるようなことは面白くないでしょ。『わからない』からこそ、自分で考える。……それが面白いんだよ」。わからないということに耐えられず、すぐに正解を求めてしまう現代の風潮についてこう述べるのは、解剖学者・養老孟司先生です。今回は、1996年から2007年に『中央公論』に断続的に連載した時評エッセイから22篇を厳選した『わからないので面白い-僕はこんなふうに考えてきた』より、1996年8月のエッセイをお届けします。

都市化一直線

戦後の日本を評するに、実際的には「都市化」という表現がもっとも適切だと、私は思う。そう考えて、まずはじめに思い当たることは、昭和30年代だと思うのだが、日本全国の町に「銀座」ができてきたことである。当時それが、マスコミの話題になったという記憶がある。

銀座に象徴されるものは、ここは田舎ではない、もはや都市だ、という住民の願望ではなかったのか。なぜかわれわれは、都市化を目指して、一直線に突っ走って来たらしい。民主化とは、どこも都市になり、だれもが田舎者でなくなることだった。

たとえばいまの日本が、徹底的に輸出入に頼っていることは、小学生でも知っている。それは経済が発展し、「近代化」したおかげであろうか。『方丈記』には、次のように書いてある。

「京のならひ、何わざにつけてもみなもとは田舎をこそ頼めるに、たえて上るものなければ、さのみやは操(みさお)もつくりあへん、念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす」