詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫3匹(メイ、テイラー、エリック)と暮らす日常を綴ります。今回は「いのちがひとつ消えてゆく」。保護猫として伊藤さん宅に来たエリックは、まるで小学校低学年男児のように活発。一方で、老いの階段を降りているニコの様子は――(画=一ノ関圭)
来たときは二、三歳の幼児みたいだった野良猫エリック。今やうちの子エリックで、小学校低学年男児という風情で家中を走り廻っている。食べざかりで、肉が好きで、用意しているあたしの手元から肉片を奪い取っていって、むしゃむしゃ食べてまた来る。それであたしはサザエさんのテーマを歌う。「おさかな」じゃなくて「ささみ」で、あたしははだしで駆け出していかないけど、どら猫エリック。見てるだけで楽しくてたまらない。
老いの階段というものがある。一段一段降りていくのではなく、いきなり何段も踏み外す。落ちたらそこでしばらくとどまり、またがたんと落ちる。夫も父もそうだった。そしてニコもまたそうなんである。
夏のはじめ、家を長く留守にできなくなった。二時間を超えると、ニコがなにかを要求して、たぶん家にいないあたしのことだと思うのだが、高い声で吠え続けるのだ。カンカンカンカンと金属のかなにかを叩いてるような声だ。閉めきりでエアコンかけっぱなしにしていたから近所に迷惑のかかることもなかったけど、泣いてる子どもは放っておけませんよ。東京にいるときは、目の前のことに紛れて、ニコのことなんか考えもしないのに不思議である。