江戸初期の間は、食事のできる店は少なかった(写真:stock.adobe.com)

2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。横浜流星さん演じる主人公・蔦屋重三郎は、江戸の出版プロデューサー。敏腕編集者でもあった蔦重が見抜いて手掛けた、浮世絵、出版、芝居、グルメ、ファッションは次々と江戸の流行となりました。そんな「江戸のメディア王」が躍動した時代の本当の楽しみ方を、『蔦屋重三郎と江戸の風俗』より一部を抜粋して紹介します。

「飲食店」江戸では、どんな外食を楽しめた?

江戸の最初の飲食店は、1616年、浅草界隈に出店された茶屋とみられています。

その前は、浅草寺に参る際、昼飯を食べる場所がなくて困ったという記録がありますが、この茶屋ができてからは、浅草寺へ弁当持参で出かけ、茶屋で茶を買って食べられるようになったようです。

飲食店が急増したのは、1657年の明暦の大火以後のことです。この火事で江戸の町の6割が焼け、復興事業のため、出稼ぎ労働者が大勢集まってきました。

すると、彼らに食事を供給する店が浅草や神田に多数開店したのです。なかでも人気があったのは、浅草の金龍山門前の「奈良茶飯」の店だったと伝わります。

奈良茶飯は、濃いめのお茶をかけて食べるお茶漬けで、これに豆腐汁、煮しめ、煮豆を加えたセットが人気を呼びました。

とはいえ、江戸初期の間は、食事のできる店は少なく、庶民は出かけるときは弁当持参が普通でした。

町人が気軽に利用できる店や屋台が増えていくのは江戸中期からのことで、すし屋や蕎麦屋、うなぎ屋、天ぷら屋、団子屋、甘酒屋、飴屋などが続々と開店します。