(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。横浜流星さん演じる主人公は、版元として喜多川歌麿や東洲斎写楽らの才能を見出した“蔦重”こと蔦屋重三郎です。重三郎は、どのようにして江戸のメディア王まで上り詰めたのでしょうか?そこで今回は、書籍『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』をもとに、日本美術史と出版文化の研究者で元東京都美術館学芸員の松木寛さんに解説をしていただきました。

吉原細見──創業

石川雅望は、「墓碣銘」で重三郎の人間性を「志気英邁にして、細節を修めず、人に接するに信を以(もって)す」(人に抜きんでた秀れた気性をもち、度量が大きく細かいことにこだわらず、人に対しては信義を尊重する)と表現している。

これはまさに実業家として成功するのに最適の素質を、重三郎がそなえていたことを示している。

そんな彼の選んだのが出版業だった。やがて喜多川歌麿や東洲斎写楽の才能を発掘したり、大田南畝や山東京伝の傑作を生む下地を作ったりするなど、重三郎の文学や絵画に対する理解力は人並み以上に卓(すぐ)れていたと考えられる。

これは恐らく天性のものであり、その萌芽は少年時代からみられたことだろう。芸術への鋭い感性と、実業家としての素質を併せ持った重三郎が、次第次第に版元経営に強い魅力を感じていったのは、自然な成りゆきと言うべきだろう。