
「家が裕福だったら歌手になっていなかったかもしれません。わが家は仲良し一家ではありましたが、2人の兄と私は『給食費ちょうだい』と言い出せなかった。それほどカツカツな暮らし向きだったのです」(撮影:木村直軌)
〈発売中の『婦人公論』5月号から記事を先出し!〉
2025年4月30日の『徹子の部屋』に研ナオコさんと野口典夫さん夫婦が出演。愉快な夫婦生活を語ります。これに合わせ、発売中の『婦人公論』5月号から、研ナオコさんのインタビュー記事を配信します。
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長年、歌手として活動を続けてきた研ナオコさん。近年はユーチューブチャンネルでの飾らない人柄溢れる発信が人気です。71歳になった今も新たな挑戦を厭わない理由と、年を重ねることへの思いを聞きました。(構成:丸山あかね 撮影:木村直軌)
2025年4月30日の『徹子の部屋』に研ナオコさんと野口典夫さん夫婦が出演。愉快な夫婦生活を語ります。これに合わせ、発売中の『婦人公論』5月号から、研ナオコさんのインタビュー記事を配信します。
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長年、歌手として活動を続けてきた研ナオコさん。近年はユーチューブチャンネルでの飾らない人柄溢れる発信が人気です。71歳になった今も新たな挑戦を厭わない理由と、年を重ねることへの思いを聞きました。(構成:丸山あかね 撮影:木村直軌)
親孝行したくて歌手になった
芸能生活55年目という節目を迎えました。われながら長くやってきたものだなぁと思うのですが、応援してくださる方々はもちろんのこと、支えてくれる周囲の人たちに対しても「有り難や有り難や」と心の中で手を合わせているんですよ。
私が歌い続けていられるのは当たり前のことじゃない。有るのが難しいこと、つまり人とのご縁が奇跡をもたらしてくれたのだと思うのです。これはもう感謝しかありません。ここに至るまでの人生は、悲喜こもごもの、長い物語。なにしろ71年の軌跡ですからねぇ。(笑)
私は歌好きな両親のもとに生まれました。実家は静岡県の天城湯ヶ島町(現・伊豆市)。ワサビ栽培をしていたのですけれど、母が畑仕事をしながら美空ひばりさんや島倉千代子さんの歌を歌っていたのを覚えています。
私がラジオから流れてくる歌を口ずさんでいると、「違う違う。こういうふうに歌うんだよ」と教えてくれたりして、母は良き歌の先生でしたね。
長距離トラックの運転手をしていた父も歌が好きで、若い頃はのど自慢大会荒らしだったようです。そればかりか私が歌手になってから、「本当は父ちゃんも歌手になりたかったんだ」と聞かされてビックリしました。血は争えないなぁって。
でも私は、家が裕福だったら歌手になっていなかったかもしれません。わが家は仲良し一家ではありましたが、2人の兄と私は「給食費ちょうだい」と言い出せなかった。それほどカツカツな暮らし向きだったのです。