
婦人公論.jpから生まれた掌編小説集『中庭のオレンジ』がロングセラーとなっている吉田篤弘さん。『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』の「月舟町」を舞台にした小説三部作も人気です。
このたび「月舟町の物語」の新章がスタートします! 十字路の角にある食堂が目印の、路面電車が走る小さな町で、愛すべき人々が織りなす物語をお楽しみください。月二回更新予定です。
著者プロフィール
吉田篤弘(よしだ・あつひろ)
1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を手がけている。著作に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『おるもすと』『金曜日の本』『天使も怪物も眠る夜』『月とコーヒー』『中庭のオレンジ』『鯨オーケストラ』『羽あるもの』『それでも世界は回っている』『十字路の探偵』『月とコーヒー デミタス』など多数。
第一話
街灯調査員(其の二)
ポケットの中のボールペンを握りしめた。
と、あたかもそれが合図であったかのごとく、大きな布が舞いおりてきたかのように雨が降り出した。周囲のアスファルトが、すぐにも一斉に音をたてて、みるみる空が暗くなっていく。
追い立てられるように文具店の庇の下へ避難すると、自ずとガラス戸越しに店の中がうかがえ、記憶を探るまでもなく、自分が子供の頃に通っていた文具店によく似ていた。店内の照明に、蛍光灯ではなく暖色系のランプが使われているせいかもしれない。
雨の音を背中に聞きながらガラス戸を静かにすべらせ、身を縮こませて店の中へ入ると、ほのかに甘いチューインガムを思わせる柔軟剤の香りが鼻についた。
あるいは、その香りもまた記憶の底から呼びさまされたのではないかと思えたが、どうもそうではない。
ざっと見た限り、店内に並ぶノートや筆記具は、よく目にする現行品ばかりで、商品がおさめられた陳列棚や什器の古めかしさだけが、過去へ遠のいた何ごとかを留めているようだった。
その思いがけない快さに、香りのいい酒を口に含んだときのような酩酊を覚え、少しばかり頭がぼんやりしかけたところへ、
「何かお探しですか」
と店の奥から声がかかった。
女性の声だった。
決して明るいとは言えない店内の片隅に、ふたつの瞳が何かを訴えているかのように潤んで見える。
外は雨で、雨の音がガラス戸越しに聞こえていた。
いまいちど、ポケットの中のボールペンを握りしめる。
自分には探しものがあると言えばあった──。