(写真提供:Photo AC)
定年後、年配者としての話し方や振る舞い方が分からず悩んでいる人も多いのではないでしょうか。作家の樋口裕一さんは「キーワードは、フランス語の『サメテガル』にある。フランス人の日常会話でよく使われる言葉で、日本語に訳すと『どっちでもいい』となる」と話します。今回は、樋口さんの著書『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

「善意の価値観」に周囲は困る

年配者は頑固と相場が決まっている。なぜ頑固なのか。昔のやり方にこだわり、新しいものを取り入れようとしないからだ。

必ずしも自分のやり方がいまでも正しいと思っている人ばかりではない。

「自分はこのようにやってきて、まずまずの成功を収めてきた」→「現在はもっと違うやり方があることは知っている」→「だが、私がその方法をこれから身につける時間はない」→「仕方ないので、これまで通りのやり方を続けるしかない」─―そんな思考回路で、自分の方法を貫く人がいる。

そのような頑固さは立派だと私は思う。自分のやり方を守り、自分らしく事を進めていく。あまりに古めかしく、あまりに時代遅れと周囲から見られることも自覚している。できないのに無理やり合わせるよりいい。

問題なのは、自分たちの常識を他者に押しつける年配者だ。しかも上から目線ではなく、心の底からの善意で方法や価値観を、意識せずに“強制”してしまうタイプの人だ。

こうしたことは親子間でしばしば起こる。

30代で独身の息子が実家に久しぶりに帰省する。喜んで歓待する。そして帰り際に、「顔を出してくれて嬉しかった。でも、今度は、奥さんを連れてきてね」と満面の笑みで送り出す。キャリア志向の娘に、「そろそろ仕事をセーブして、他の道を考えたらどうだ」とアドバイスする。子どものいない息子(娘)夫婦に、「子どもはまだかな。孫の顔を見たいなぁ」とサラッと話す。いずれも親子関係が険悪なわけではないし、親の言葉に悪意は全くない。