自慢話なんて、他人にとってはどうでもいい
そうであるにしても、なぜか聞く者を不快にさせる自慢話を続ける年配者は多い。
口を開けば自分が活躍したエピソードばかり、質問や相づちを挟ませる暇もなく夢中になって成功談を語り、まるでつい先日起きたかのように、直接話法を使いながら何十年も前のことを話す。
「相手があんまり無茶苦茶なことを言うんで、俺がビシッと言ってやったんだよ。『そんな話は通りませんよ』って。そうするとやっこさん、縮み上がってさあ……」などと、昔の活劇調で話す。まるで漫画のヒーローのような活躍だ。
本当かどうかは別にしてストーリーが面白ければいいが、そうはならない。しかも話が下手なので、前後の状況や登場人物、人間関係などがまるで分からず、誰も理解できていない。一人嬉しそうに話を勝手に進めて悦に入っていることも多い。
よくよく聞くと自慢するほどのことではない内容だったり、「そんなに成功したんだったら、いまはなぜこんな生活なの?」とツッコミたくなるような内容だったりもする。しかも、同じ自慢を繰り返しているうちに脚色が加わって、登場人物が増えたり、新たなエピソードが加わったりする。ただし残念なことに、その脚色も下手なので、ストーリーはさらに分かりにくく、つまらなくなっていく。
年配者の自分語りが自慢話になっていくのは仕方ない。だが、せめて「自分の自慢話なんて、他人にとってはどうでもいい」という感覚だけは持っていたい。実際、他人の自慢話を聞けば、「どうでもいい」と感じるのだから。
※本稿は、『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』(小学館)の一部を再編集したものです。
『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』(著:樋口裕一/小学館)
現役時代は「旗幟鮮明」を求められて生きてきたが、リタイア後は多くの場面でその姿勢は必要なくなる。
それどころか、過去のやり方、考え方、振る舞い方に拘泥しすぎると、「老害」扱いされかねないこともある。
そうならないための魔法の言葉、それが「サメテガル」である。