なかなか自覚できない衰え
年を重ねると、あらゆることが思いどおりにいかなくなる。すでに重い病気を経験した年配者も多いだろう。いままさに持病を抱えている人もいるだろう。病気ひとつないという幸せな人でも、若いころとはいろいろ違ってくる。
まず、体力がなくなる。すぐに疲れる。集中力が続かない。少し前まで難なくこなせたことができなくなる。電車に乗ろうとして駅まで2、300メートルほど早歩きしただけで、ずっと動悸が治まらない。検診を受ければ、あれこれ再検査を指示される。関節が痛くなったり、体のあちこちに痛みが走ったりするのは日常茶飯事だ。
それどころか、ドアを開けようとノブに手を伸ばしたら、目測を誤って空振りする。一度ならまだしも、二度も三度もだ。階段を踏み外しそうにもなる。そうしたことが続いて、「これはまずい」と認識する。
体力以上に知力の衰えを感じる人も多い。スラスラ読めていた本を読むのがつらくなる。目が悪くなって文字がかすんで見えるだけではなく、本の内容が理解できなくなる。
人の名前を忘れるのは当たり前。「除夜の鐘」「成人の日」など、年に一時期だけ頻繁に使われる言葉は当然のこと、「塀」「窓」「ホース」などという日常的な一般名詞さえも言葉が出なくなってしまう。ついには「握る」「渡す」といった、ありきたりの動詞さえも言葉が思い浮かばない……。
ネットで何かを調べるためにスマホを操作しようとするが、検索画面が出てきたときには、何を検索するつもりだったか思い出せない。たまに起こるのではなく、ほとんど毎回だ。忘れる前に手書きのメモをしておこうとしたが、これまたメモ帳を取り出したときには、何を調べようとしたか忘れている……。
それが一度に襲いかかるのではなく、長い時間をかけて徐々に訪れるから、衰えをなかなか自覚できない。周囲の同世代の人間を「なんてどん臭いんだ」と見下しているのに、「俺だけはしゃんとして歩いている」と思い込んでいる。ところがある日突然、ガラスに映った自分の姿に愕然とする。「老けた顔で、みっともない姿勢でヨタヨタ歩いているジイさんがいる」と思ったら、それが自分だったからだ。