(写真提供:Photo AC)
定年後、年配者としての話し方や振る舞い方が分からず悩んでいる人も多いのではないでしょうか。作家の樋口裕一さんは「キーワードは、フランス語の『サメテガル』にある。フランス人の日常会話でよく使われる言葉で、日本語に訳すと『どっちでもいい』となる」と話します。今回は、樋口さんの著書『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

なかなか自覚できない衰え

年を重ねると、あらゆることが思いどおりにいかなくなる。すでに重い病気を経験した年配者も多いだろう。いままさに持病を抱えている人もいるだろう。病気ひとつないという幸せな人でも、若いころとはいろいろ違ってくる。

まず、体力がなくなる。すぐに疲れる。集中力が続かない。少し前まで難なくこなせたことができなくなる。電車に乗ろうとして駅まで2、300メートルほど早歩きしただけで、ずっと動悸が治まらない。検診を受ければ、あれこれ再検査を指示される。関節が痛くなったり、体のあちこちに痛みが走ったりするのは日常茶飯事だ。

それどころか、ドアを開けようとノブに手を伸ばしたら、目測を誤って空振りする。一度ならまだしも、二度も三度もだ。階段を踏み外しそうにもなる。そうしたことが続いて、「これはまずい」と認識する。

体力以上に知力の衰えを感じる人も多い。スラスラ読めていた本を読むのがつらくなる。目が悪くなって文字がかすんで見えるだけではなく、本の内容が理解できなくなる。

人の名前を忘れるのは当たり前。「除夜の鐘」「成人の日」など、年に一時期だけ頻繁に使われる言葉は当然のこと、「塀」「窓」「ホース」などという日常的な一般名詞さえも言葉が出なくなってしまう。ついには「握る」「渡す」といった、ありきたりの動詞さえも言葉が思い浮かばない……。

ネットで何かを調べるためにスマホを操作しようとするが、検索画面が出てきたときには、何を検索するつもりだったか思い出せない。たまに起こるのではなく、ほとんど毎回だ。忘れる前に手書きのメモをしておこうとしたが、これまたメモ帳を取り出したときには、何を調べようとしたか忘れている……。

それが一度に襲いかかるのではなく、長い時間をかけて徐々に訪れるから、衰えをなかなか自覚できない。周囲の同世代の人間を「なんてどん臭いんだ」と見下しているのに、「俺だけはしゃんとして歩いている」と思い込んでいる。ところがある日突然、ガラスに映った自分の姿に愕然とする。「老けた顔で、みっともない姿勢でヨタヨタ歩いているジイさんがいる」と思ったら、それが自分だったからだ。