社会的評価が下がることへの恐怖

自分自身の衰えは、まだ我慢できる。深刻なのは、社会からの扱いが悪くなることだ。

そもそも肩書がない。収入も減って、経済的余裕がない。年金もあてにならない。そして周囲からの扱いが目立って悪くなる。

『70すぎたら「サメテガル」: 「老害」にならない魔法の言葉』(著:樋口裕一/小学館)

若い人も交えた何人かのグループで意見交換している際、自分の意見をしっかり語っているのに、誰も耳を傾けてくれないし、フォローもしてくれない。少し前までは、真っ先に意見を聞かれたし、そうでなくても自分が話すと周囲も頷いてくれた。ところがいまでは喋ってもスルーされ、まるでその場にいなかったかのように話が進んでいく。

役所の窓口に並んでいると、後ろから「おいジイさん、割り込むなよ。みんな並んでるんだ。マナーも知らないのか」という声が聞こえてくる。初めは「迷惑なヤツがいるな」と他人事に思っているが、しばらくして注意されているのが自分だと気づく。他の人が並んでいることに気づかなかっただけなのに、この言われよう。少し前までは、そんな扱いは受けなかったのに。そもそも列に気づかないなどということもなかったはずだ……。

バスに乗り込んだものの足腰が弱っているのでスタスタと歩けない。やっとの思いで辿り着いて座ろうとするが、その間バスは出発できずに停車したまま。そんなとき「遅れるじゃねえか」という声が聞こえてくる。口に出さないまでも、「チッ」という舌打ちが聞こえてきたりする。

そうした目に一度か二度遭うだけで、トラウマになる。それからは誰もそんな様子は見せていないのに、「もしかしたら不快に思われているのでは」「誰かが舌打ちしているのでは」と不安な気分になってくる。自分が社会ののけ者になっているらしい、どうも自分は年寄りだということで差別されている……とだんだん気づいてくる。

そもそも年を重ねること自体、悪ではないはずだ。だったらヨタヨタしてたっていいじゃないかと開き直れればいいのだが、そうは思えない。いや、認めたくない。やはり老いに抗いたくなる。