衰えない煩悩
人間は仙人のように枯れていくと思われている。年配者自身も「きっと、俺もそのうち枯れるだろう」と思っている。しかし、なかなか枯れない。70をすぎても、おそらくは80をすぎても、人間は煩悩にあふれている。
大病をすれば、一時的に煩悩どころではなくなるだろう。だが回復して活力が蘇ってくると、煩悩もまたふつふつと沸き上がってくる。生きるということと煩悩を持つということは、同意義だとつくづく思う。
中学や高校の同級生と会うと、いまでも50年以上前と同じようなくだらない会話をして、ここに書けないような卑猥な言葉も飛び出す。卑猥な話だけではない。まだまだもう一花咲かせたいと思っている者も多い。いい思いをしている同世代に嫉妬する。現在の生き方や生活を褒められると嬉しくなり、けなされると腹が立つ。ある意味で純粋で単純。頭の中だけは中学生のころとほとんど変わりない。
さすがに自分の能力の限界も分かっているので、いまさら無謀なことをしないで自制できている人が多い、というだけの話だ。中学生のころと同じように冒険を「したい」とは思っているが、残念ながら現在の体力や能力によって「できない」ので、諦めているのだ。