エミー賞受賞ドラマ『SHOGUN 将軍』は、日本の戦国時代について再現性の高さも話題になりました。時代考証を担当した、国際日本文化研究センターで教授を務めるフレデリック・クレインス氏いわく「戦国時代の武士たちには、命より家の将来や社会的立場を重んじ、死を“生の完成形”と捉える死生観があった」とのこと。戦国武士の生きざまを徹底検証したクレインス氏の著書『戦国武家の死生観 なぜ切腹するのか』より、一部を抜粋して紹介します。
信長の上洛後も戦国時代は続いていた
まずは戦国時代の時代区分について、はっきりさせておきましょう。
じつは歴史学の世界では、戦国時代に関する明確な定義はありません。
一般的には、応仁の乱が始まった応仁元(1467)年から、織田信長が足利義昭を奉じて上洛した永禄11(1568)年までのおよそ100年間とされていますが、政治権力のとらえ方しだいで見解も異なるため、さまざまな説が唱えられています。
また、そもそも戦国時代は通称に近い用語で、学術的な領域では主に室町時代と安土桃山時代「織豊(しょくほう)時代」という時代区分が用いられます。端的にいえば、戦乱の絶えない不安定な時代を概念的に戦国時代と呼んでいるわけです。
ここでは、応仁元年から元和元(1615)年までを戦国時代とします。江戸時代の初頭も戦国時代に含まれてしまいますが、私がそう考える理由は次の二つです。
一つは、元和という元号に「平和の始まり」という意味が込められており、江戸時代中期以降、儒者たちによって元和期を転換点と見る「元和偃武」という言葉が広く用いられるようになるからです。
偃武は中国の古典『書経』に由来する言葉で、武器を伏せる(用いない)という意味があります。
たしかに元和期(1624年まで)以後の史料から感じ取れる時代の雰囲気が変わっており、元禄期(1688年から1704年まで)にいたると、それ以降は明らかに「江戸」の色彩が強くなっていきます。