(写真提供:Photo AC)
生きづらい、認められたい、満たされない……このような悩みを抱えている人は多いのではないでしょうか。作家の筬島正夫さんは、「そんな人にぴったりなのが、東洋哲学です」と話し、東洋哲学の視点から、不自然に自分をとりつくろわず「ありのまま」でいることを勧めます。そこで今回は、筬島さんの著書『10人の東洋哲学者が教える ありのままでいる練習』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

室町時代のインフルエンサー

室町時代の僧侶・蓮如は庶民に向けた布教を積極的に行い、仏教の教えを簡単な言葉で伝えることに尽力しました。

彼の布教スタイルは、単なる学問的な説法ではなく、市井(しせい)の多くの人々の心に直接響くものでした。

意外に思われるかもしれませんが、当時の仏教は、学問や修行に偏っており、一部の貴族や知識層にしか理解できないものでした。しかし、蓮如は難解な経典をわかりやすく解説し、庶民が理解しやすい形で教えを広めたのです。

たとえば、彼の手によってつくられた手紙「御文章(御文<おふみ>)」は、平易な言葉で書かれ、誰でも読める内容になっていました。これは、現代でいうSNSの投稿のようなもので、当時の庶民に大きな影響を与えました。

また、蓮如は「煩悩あるままで救われる」という親鸞の教えを改めて強調し、庶民の間に浄土真宗の信仰を根付かせました。その結果、浄土真宗は爆発的に広がり、多くの人々の心をとらえました。

蓮如の人気が高まるにつれ、既存の仏教勢力からの反発も激しくなりました。特に比叡山延暦寺は、浄土真宗の広まりを警戒し、蓮如を徹底的に弾圧したのです。1471年、比叡山の勢力により本願寺が焼き討ちされ、蓮如は近江(今の滋賀県)へと逃れました。さらにはその首に賞金までかけられます。

それでも彼は屈することなく布教を続けました。逃亡先でも信徒を集め、誰もが幸せになれる教えを広め続けました。

その結果、数々の苦難を乗り越え、浄土真宗はますます全国に広まり、こんにち、日本で一番信徒が多い巨大な宗派へと成長したのです。