フランス料理シェフ・三國清三さんは、自らがオーナーシェフを務めていた東京・四ツ谷の人気店「オテル・ドゥ・ミクニ」を2022年末に閉店し、2025年9月、同じ場所にカウンター8席の店「三國」をオープンさせました。この「三國」について、三國さんは「グランメゾンを率いていたときにはできなかった夢を、この店で実現させたい」と語っています。今回は、そんな三國さんの著書『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』から一部を抜粋し、三國さんのこれまでの歩みをご紹介します。
僕はフランス料理を捨てるつもりで帰国した
1982年、8年間の修業を終え年末の東京に降り立った僕は、もうフランス料理はやめようと思っていた。
スイスの日本大使館の専属料理人として欧州に渡ったのは20歳のときだ。
その後、「オテル・ドゥ・ヴィル」(のちの「ジラルデ」)を皮切りに「トロワグロ」「オーベルジュ・ドゥ・リィル」「アラン・シャペル」など、ミシュラン・ガイドの三つ星レストランを渡り歩いて技を磨いた。
鍛錬の日々の中で高まっていったのは、自分は誰よりも努力を重ねているという強烈な自負だ。と同時に、修業の場を変えながら磨き上げた技術への自信はゆるぎないものとなっていった。
僕は料理人なら誰もが憧れる数々の三つ星レストランでいずれも重要なポジションを与えられ、技術の対価として高い報酬を得ることができる。僕はどこへ行っても通用する。ここまで完璧な仕事は、フランス人の料理人にだってそうそうできるものじゃない。
経験を重ねる中で、僕はいつのまにかすっかり天狗になっていた――。
その鼻をへし折られたのは、最後の修業の場となった「アラン・シャペル」で働き始めて3か月目のことだった。