(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
フランス料理シェフ・三國清三さんは、自らがオーナーシェフを務めていた東京・四ツ谷の人気店「オテル・ドゥ・ミクニ」を2022年末に閉店し、2025年9月、同じ場所にカウンター8席の店「三國」をオープンさせました。この「三國」について、三國さんは「グランメゾンを率いていたときにはできなかった夢を、この店で実現させたい」と語っています。今回は、そんな三國さんの著書『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』から一部を抜粋し、三國さんのこれまでの歩みをご紹介します。

バブル崩壊で状況が一変してしまった

開店から半年間は低迷したものの、バブル経済の到来とともにやってきたグルメブームに乗って、「オテル・ドゥ・ミクニ」は順調過ぎるほど順調に売上を伸ばしていった。開店のために借りたお金は3年間で完済。店内は楽しそうに料理を食べるお客さんでいつもいっぱいで、僕は厨房に立ってその気配を感じながら料理を作るのがなによりも好きだった。

そんなとき、バブルが弾けた。

満席だったお客さんがさーっと引いていったのをよく覚えている。

絶好調だったレストラン業界は一気に停滞期へ。新年会・忘年会や歓送迎会などの会社関係の宴会がまったく行われなくなり、都内のレストランがバタバタ潰れていく。とくにうちのような単価の高い高級店は悲惨を絵に描いたようだった。あのとき、ほとんどの店が、1人で回していける10席くらいの店へと縮小するか、いっそ閉めてしまうかの決断を迫られていた。

うちもその例外じゃなかったわけだけど、ちょうどその頃、僕はもうひとつ大きな課題を抱えていた。1985年の開店のときに店を借りた条件が、8年間の期間限定だったのだ。つまり、1993年にはこの場所を明け渡さなければならない。

それまでは、店を家主さんに返したら、川も海もある静岡あたりへ行ってオーベルジュ(宿泊施設を備えたレストラン)をやるのもいいなあ、なんて考えていたのだが、バブル崩壊で状況は一変してしまった。さてどうしたものか。