フランス料理シェフ・三國清三さんは、自らがオーナーシェフを務めていた東京・四ツ谷の人気店「オテル・ドゥ・ミクニ」を2022年末に閉店し、2025年9月、同じ場所にカウンター8席の店「三國」をオープンさせました。この「三國」について、三國さんは「グランメゾンを率いていたときにはできなかった夢を、この店で実現させたい」と語っています。今回は、そんな三國さんの著書『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』から一部を抜粋し、三國さんのこれまでの歩みをご紹介します。
原因不明のまま営業停止処分を受け入れた
「ミクニ マルノウチの料理を食べたお客様が、下痢や腹痛の症状を訴えているそうです」
2003年2月、間近に迫った「ミクニ サッポロ」の開業準備に追われていた僕に、早足で近づいてきたスタッフが硬い表情でこう言った。
「?」 一瞬声を失う。まさか、と思った。
衛生管理については、どの店も万全の対策をとっていて、自信があった。生ガキを使った料理は出していないし、スタッフのコックコートは、少しでも汚れたらすぐに着替えさせていた。
「食中毒を出したら終わりだ、絶対に出すな」と、周りに対しては常々口にもしてきた。
スタッフによると、2月23日に「ミクニ マルノウチ」の結婚披露宴の料理を食べたお客様から食中毒の症状が出ているとのこと。原因はまだ不明、人数もわからないが数名ではなく、刻一刻と増えているという。
そこへお客様の1人から連絡が入った。お客様の被害の状況をその方が取りまとめていて、「これから保健所に行きます」という。
僕はまずその人のもとへ謝罪に向かった。
その方は医療関係者で、たまたまあの日、披露宴に招かれていたのだという。現在までの判明分として、30数名のリストを見せられた。それは招待客一人ひとりに、その方が電話をかけてリサーチしたものだという。症状は、腹痛、下痢などで重篤な症状の方はおらず、入院している方はいないようだった。
「これを保健所に提出します」とお客様。
あってはならないことが起きてしまった以上、それは避けられないことだった。
「わかりました」と僕は頭を下げた。