『人生、山あり“時々”谷あり』(著:田部井淳子/潮出版社)

 

2016年に逝去された登山家・田部井淳子さんは、女性初のエベレスト登頂を成し遂げたことで知られています。今回は、田部井さんがこれまでの出来事をエッセイとして書きまとめた著書で、2025年10月31日公開の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」の原案本ともなった『人生、山あり“時々”谷あり』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。

山登りがきっかけで劣等感を克服

まだ見たことのない景色を見たい─―その思いに突き動かされるように、私は山登りを続けてきました。その原点となったのは、10歳のときの体験です。

私は、福島県三春町という小さな城下町で育ちました。小学4年のとき、担任の渡辺俊太郎先生が、クラスの生徒の中から希望者を募り、夏休みに山に連れて行ってくれました。東北本線の黒磯駅からバスに乗り、大丸温泉に泊まって、栃木県・那須山系の茶臼岳と朝日岳に登るのです。当時は終戦後まもない昭和20年代。家族旅行などしたくてもできなかったころですから、本当にワクワクしました。

初めての登山は、驚きの連続でした。それまで緑の山しか見たことがないのに、生まれて初めて、砂と岩だらけの火山に登ったのですから。

山の上は夏とは思えない寒さで、硫黄のにおいが立ち込め、川には湯が流れていました。地面からは熱湯が湧き出し、グツグツ煮立っています。見るもの聞くものすべてが新鮮で、何もかもが「生きた授業」でした。湯の川をせき止めて作った宿の露天風呂につかりながら、すごいところに来たなあと思ったのを覚えています。