婦人公論.jpから生まれた掌編小説集『中庭のオレンジ』がロングセラーとなっている吉田篤弘さん。『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』の「月舟町」を舞台にした小説三部作も人気です。

このたび「月舟町の物語」の新章がスタートします! 十字路の角にある食堂が目印の、路面電車が走る小さな町で、愛すべき人々が織りなす物語をお楽しみください。月二回更新予定です。

著者プロフィール

吉田篤弘(よしだ・あつひろ)

1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を手がけている。著作に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『おるもすと』『金曜日の本』『天使も怪物も眠る夜』『月とコーヒー』『中庭のオレンジ』『鯨オーケストラ』『羽あるもの』『それでも世界は回っている』『十字路の探偵』『月とコーヒー デミタス』など多数。

 

第五話
サンドイッチと雷鳴(其の一)

 

 その人は、ときどき晩御飯を食べに行く十字路の食堂で、皆から「雨降りの先生」と呼ばれている。うちの店にもよくいらっしゃって、無地のノートや万年筆のインクを定期的に買ってくださる。
 先代の頃からの大事なお客さまだ。
 雨の研究をしていて、もう長いこと、論文を書きつづけている。
 その先生が言うのだ。
「雨は嫌われ者です」と。
「マリコさんは、どう思われますか?」
「ええ──そうですねぇ──」
 とわたしは考え込むふりをして腕を組む。
「いつだったか、雨のせいで、みんなが楽しみにしていた催しが中止になりました」
「そうでしたか」
「あのとき、ハンバーガーの屋台が中止になったのは本当に残念でした」
 先生は目を細め、
「食べもののうらみは根強いですからね」
 と微妙な笑みを口の端に浮かべた。
 たぶん、先生はもっと学術的な話をしたかったのだろう。
 なのに、わたしは食べることばかりだ。
「雨はいいものだよ」
 と父は言っていた。
「天からの恵みだ」と。
 父の葬儀は雨が降る中で行われ、葬儀もまた催しのひとつに数えられるだろうが、中止にはならなかった。
「よかったね」と空に向かって話しかけた。
 雨が好きだった父は、きっと空の上で歓迎されただろう。
(でも、もう少しこちらにいてくれたらよかったのに)
 父の記憶力は大したものだった。
 店に置いてある商品を、すべて克明に記憶していた。何がどこにあるのか──たとえば、ロシナンテ社の青い手帳は店の棚のどのあたりにあるのか、在庫がどのくらいあるのか、類似商品にはどんなものがあるのか、といったことを、お客さまに訊かれたときに即答できるようにしていた。