右から、野宮真貴さん、ジェーン・スーさん、清水ミチコさん(撮影:大河内禎)
『婦人公論』連載でおなじみのジェーン・スーさんと、ファッションアイコンとして圧倒的な存在感を放つ野宮真貴さんは、なんとかつての仕事相手。今年、ともに還暦を迎えた清水ミチコさんと野宮さんに、大人の女性として楽しく生きるヒントをスーさんが尋ねます(撮影=大河内禎)

書きながら、しゃべりながら

清水 野宮さん、今日はお誕生日なんだよね。おめでとうございます!

スー おめでとうございます。

野宮 ありがとうございます。今日で還暦ですよ。

清水 え、そうなの? 見えないなあ。

野宮 還暦ライヴは新型コロナウイルスの影響で延期になったから、ライヴまで歳を取らないって決めようかと(笑)。でもこうしておふたりとおしゃべりできて、ほんとにうれしい。

清水 野宮さんとスーさんは、長いおつきあいなんだってね。

野宮 スーさんがまだレコード会社でプロモーターをしていた時に、お世話になっていたんです。

清水 スーさん、サラリーマンだったの?

スー 野宮さんの宣伝プランを考えて、「野宮さん! 『〇〇』誌のインタビュー取れました!」なんてことをやっていました。いまより体重が25キロくらい少なかった時の話ですが。

清水 これだけおしゃべりが得意なら、確かにプロモーターはぴったりの職業だ。

野宮 私はすごくおしゃべりが苦手で。人前で話さなくてもよくて、好きな仕事は何かって考えたら歌手だったというか。歌で思いを伝えられれば、しゃべらなくていいと思ってた。

スー 野宮さんはゆっくりしゃべるので、実は苦手なように聞こえないんですよ。

野宮 そう? まあさすがに60年も生きたから、それなりに社交もできるようになりました。ちなみに彼女はレコード会社のあと、メガネ会社にも勤めてるんですよ。

清水 じゃあ、いまの仕事に辿りつくまで、けっこう時間かかってるんだね。全然知らなかった。どうしてこの業界に?

スー 自営業をしている父が引退したいというので、手伝うために35で一度実家に戻ったんです。そしたらもう閑古鳥というか、こんな仕事のために自分は戻ったのかと虚しくなるような状況で。そんな時、ミクシィというサイトで書いていた日記がきっかけで、雑誌に書き始めるようになりました。

清水 なるほど。スーさんの「書きながら、しゃべりながら」の「書きながら」がまず始まったんだね。

スー 清水さんのおっしゃる「しゃべりながら」のほうは、TBSラジオで番組を持つ友人から「世の中に知られていない人に出演してほしい」と声をかけられたのがきっかけで。よく考えたら失礼な話ですよね、知られてない人って(笑)。まあ、いまの仕事になって10年くらい、といった感じです。

野宮 このお仕事で、すっかり落ち着いたみたい。

スー ありがたいことに、自分でもようやくそう思えるようになりました。いろいろなスキマ産業をちょこっとずつ続けていただけなんですけどね。

清水 スキマ埋まったねー、すごい。だっていまやすっかりTBSラジオの「顔」だよ。女性パーソナリティでは珍しいことだと思う。

野宮 清水さんは、前からスーさんに注目していたの?

清水 うん。ラジオで流れるスーさんの声と私の声が似てるって言われることがよくあって。それでどんな人なのかな、と思って聴き始めたら、すごい面白かった。

野宮 おしゃべりの声、似てる? でもラジオを通すと、そういうふうに聞こえるのかな。

スー ラジオってそもそも女性パーソナリティの数が少ないから、みんな似てるように聞こえるみたいで。でもこうしてお会いできる日がくるなんて、とても光栄です。