不妊治療の末に子どもを授かって
23歳のときにロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてデビューして以来、30代頃まではかなり無茶して生きていました。毎日ライブをしていたから、ハードスケジュールをこなすために、朝から精のつく肉やうなぎをガンガン食べて。
加えてカップラーメンやジャンクフードも食べるし、煙草はもちろん、酒も浴びるように飲む。ワインやバーボン、コニャック、焼酎なんかを、それこそ一晩でバケツ1杯分とか(笑)。
当時は若かったからか体に影響はなかったし、そんなスタイルがロックンローラーとして「カッコいい!」と思っていたんです。
それが40代半ばあたりから、「あれ、体力が落ちてきた?」と感じることが徐々に増えてきた。決定打となったのは、47歳のときのある出来事。
30代から続けていたハードなボクササイズのトレーニングを自宅でしていたら、突然意識を失って救急車で運ばれてしまった。幸い命にかかわるような病気ではなく、単なる脳貧血だったんだけど、ちょうど第一子の娘が生まれて6ヵ月目くらいのことで。
娘は、不妊治療の末にようやく授かった子どもなんです。しかも不妊の原因は、俺の無精子症だった。「子どもをつくろうよ」という話になったとき、妻は30代半ば。「ちゃんと妊娠できるか病院で調べたい」ということで、2人で一緒に産婦人科に行きました。
医師の勧めで念のため俺も調べてもらったところ、なんと俺のせいで妊娠するのが難しいと判明して。もう青天の霹靂(へきれき)で、大ショック。でも、不妊治療を2年ほど続けて娘を授かったんです。
脳貧血で倒れたとき、そんな奇跡のような子を残して死ぬわけにはいかない! と、健康に対する意識が大きく変わったね。
そして49歳で双子の息子たちにも恵まれたことで、家族を守るためには何よりも俺が健康でいなきゃいけない、とさらに強く思ったんです。