竹は女の樹だ。細く、風に容易くしなってしまう。けれど、容易く折れはしない――。江戸の片隅の竹林を背負った家で、「闇医者」として子堕しを行うおゑん。彼女の許に、複雑な事情を抱えた女たちがやってくる。

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「あっしも、花魁の芯の強さは感じてやす。けど、だからといって、一人で生きていけると先生が言い切っちまうのは、ちょいと酷じゃねえですか。花魁は、本気で先生に惚れてるじゃねえですか。先生がいるから、生きていける。そう想って、恋焦がれてるとあっしは……いや、あっしだけでなく、惣名主も見抜いてやすぜ」

 吉原惣名主、川口屋平左衛門(かわぐちやへいざえもん)。白髪の目立つ髷を結いながら、生き生きとした眸を持つ老人だった。その眸が、ときに冷たく、ときに鋭く人の心内を抉る場面に何度か出くわした。大店(おおだな)の主然とした品のよい風貌の下に、爪も牙も隠している。吉原惣名主の前で、おゑんは一瞬の油断もできなかった。それこそ首を刎ねられかねない心地すらする。

「まあ、あっしが見抜けるぐれえのことは、惣名主ならとっくにわかってたでしょうがね」

「つもり、だけかもしれませんね」

 湯呑の中身を飲み干す。

「え、つもりだけ?」

「ええ、甲三郎さんも川口屋さんも、見抜いたつもりになっているだけかもしれませんよ」

「あっしたちが見誤っていると?」

「ふふ、まさかって顔ですね」

 甲三郎が、自分の顔をつるりと撫でた。眉間に皺ができている。

「まさかでやす。花魁は先生に惚れてやすよ。心底からね。そこんとこは揺るがねえ。あっしはともかく、惣名主の目は誤魔化せねえでしょう」

「誤魔化すつもりなんてありませんよ。けど、呆れはしますね」

 甲三郎の皺がさらに深くなる。

「何に呆れるんです、先生」

「おまえさんたちの自惚(うぬぼ)れ具合にですよ」

 おゑんは指を一本立てると、その先を甲三郎に向けた。真っ直ぐに伸ばす。指先を避けることなど雑作もないだろうに、甲三郎は僅かも動かなかった。そのまま伸ばし、動かない男の眉間に当てる。

「女の心は底無しですよ。吉原惣名主だろうが首代の元締めだろうが、男風情が覗き込んで何が見えるわけもなし。それを見抜いただの、わかっていただの、訳知り顔に口にする。自惚れも大概にするんだね。おこがましいにも程があるってものさ」

 指先に少し力を込める。皺はもう消えていた。

「……と、川口屋さんにお伝えくださいな」

 さて、あの海千山千の商人は、あたしの言い分をどう受け止めるかねえ。

 他愛もない戯言と笑い飛ばすか、小生意気な物言いだと腹を立てるか。どちらでもあるまい。「それでは、先生の覗き込んだ人の心には、何がどのように見えましたかな」と、真顔で問うてくるのではないか。

「伝えておきやす」

 背筋を真っ直ぐに立てたまま、甲三郎が答えた。おゑんは指を握り込む。

「それでも、花魁が先生に逢いたがっているのは事実でやしょう。心の内に何があろうと、事実でやす。だから、お返事をいただいて帰りやすよ」

 物言いも真っ直ぐだ。こういうところが、甲三郎らしい。黙り込み、相手を圧してくるか、真っ直ぐに語り、相手の懐に飛び込んでくるか、だ。

 平左衛門ほど老獪ではないが、一息に急所を突いてくる怖さがあった。

 おゑんは頷き、話の向きを僅かにずらしてみる。

「もう一度、お尋ねしますけど、お小夜さんは身体を悪くしているわけじゃないですね」

「へえ、臥せっているとかはありやせんぜ」

「そうですか。じゃあ、先刻と同じことを尋ねなきゃなりませんね。甲三郎さんの目から見ても大丈夫そうに見えましたか。そして、何かありませんでしたか。お小夜さんの周りで、何か変わったことが。どんな些細なことでも構わないんです。むしろ、誰もすぐには気付かないような、けれどいつもとは違う出来事……ありませんでしたか」

「変わったこと……」

 甲三郎が腕を組み、天井を仰ぐ。何もない宙を見詰める。

 大門(おおもん)の外、ごく当たり前の世間、朝と共に目覚め、動き、働き、日が沈めば眠る。そんな世間とは全く別の則(のり)で、吉原は蠢いている。

 世間の変事が吉原の尋常であることは、少なくない。甲三郎は、そこを思案に入れながら宙を見ているのだ。

「とりわけ、何もなかったかと思いやす。ああ、羅生門河岸(らしょうもんがし)の女郎が一人、亡くなりやした。急に具合が悪くなって、三日ほど寝込んで逝っちまったとかで」

「そうですか。まぁ三日患っただけなら、御の字かもしれませんねえ」

「全くで」

 羅生門河岸と呼ばれる東河岸、浄念河岸(じょうねんがし)と呼ばれる西河岸、そこに軒を連ねる河岸見世(かしみせ)で働くのは、廓内で最も下層の遊女たちだ。病になろうと傷を負おうと医者が呼ばれることは、まずない。そのまま捨て置かれる。

 長引かず三日で逝けたのなら幸運だったと河岸見世の女たちも、頷き合っただろう。

「後は……ちょっとした刃傷沙汰が二つ三つあって、男が一人大怪我をしたとか亡くなったとか耳に挟みやしたが、それぐれえで、格別何も起こっていやせんねえ」

 甲三郎は、“ちょっとした刃傷沙汰”を変事の内に入れなかった。単なる騒ぎの範疇でしかないのかもしれない。人が死のうが殺されようが、だ。

「そうですか。お小夜さん自身にも周りにも何事もない。だとしたら……」

 だとしたら、この恋文の意図はどこにある?

「先生、おかしかねえですか」

 甲三郎が身を乗り出した。

「花魁は先生に逢いたくて、想いが募って、こうやって文を綴ったんじゃねえんですか。なのに何で、考え込むんでやす。それとも、その文には気になることが書いてあったんで」

「いえ、中身はこれといって気にはなりませんね。美しい手跡の見事な文ですよ。ただ、あたしが引っ掛かっているのは、中身より文そのものです。お小夜さんが、なぜこれを寄越したか。それが、妙に気になりますね」

「ですから、先生に逢いたくて、思い余った末の……」

 甲三郎が口ごもる。おゑんがかぶりを振ったからだ。

「芝居ならそういう筋書きもあるでしょうよ。もっとも吉原一の花魁の相手役となると、姫路藩あたりの殿さまでなければ務まらないでしょうが。けどね、甲三郎さん、あたしは芝居ではなく現の話をしているんですよ。現のね」

 おゑんの物言いに何を感じたか、甲三郎は前のめりになっていた身体を起こし、居住まいを正した。口を結び、手を膝に置く。本気で耳を傾けようとしているのだ。

 

(この章、続く)

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