近年、国や地域別の幸福度ランキングや「ウェルビーイング」という言葉が注目を集めています。この「幸福」というテーマについて、京都大学人と社会の未来研究院の内田由紀子教授は「自分たちが生きている文化・社会環境におけるウェルビーイングとは何かを問い、データを適切に解釈すべき」と語ります。今回は、内田教授が国際比較を通して日本社会における幸せの特徴を探った著書『日本人の幸せ―ウェルビーイングの国際比較』から一部を抜粋してお届けします。
言葉遣いは自己意識にどう影響するか
日本語と英語の言語的な違いは、主体性に影響を与えていると考えられます。英語では、主語「I」を常に明示しなければならず、話者である自分が主体として考えを話しているという状況を、暗黙の裡(うち)に意識せざるをえません。
一方、日本語では主語が省略されがちで、主体が明示されないままでも相互の了解のもとに会話が成立します。主語脱落が起こりにくい言語を用いている文化圏ほど、個人主義の程度が高いという研究もあります(Kashima & Kashima, 1998)。
日本語では主語脱落だけではなく、一人称の使い分けも興味深いです。場面に応じて「私」「僕」「俺」などを使い分けることは、文脈や関係性に応じて役割意識があることを示しています。
言語学者の鈴木孝夫は『ことばと文化』において、日本語の人称変化が話し手と聞き手の社会的立場や関係性を反映していることを述べています。たとえば相手が守るべき立場にある子どもである場合に、相手の視点取得が起こりやすい可能性があります。子どもに話しかける際、母親が「お母さんはね」と自分のことを指したり、小学校の先生は子どもたちに向かって、自分のことを「先生」と言ったりします。