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2025年は第二次世界大戦の終結から80年という大きな節目にあたります。戦時中、日本のエンターテインメント界も大きな影響を受け、宝塚歌劇団の団員も激動の時代を生き抜いてきました。戦中・戦後の混乱期に活躍した団員に、元・タカラジェンヌの早花まこさんが話を聞き、華やかな舞台の裏で戦争がもたらした現実を振り返り、記憶にとどめる企画です

タカラジェンヌを目指す『下地』体験

「タカラジェンヌになりたい」

そう夢見るようになるには、その人なりの理由がある。客席に座って舞台を眺める側から、その上に立つ側の人になりたいと志す人は、限られているのだから。

93歳の元タカラジェンヌ、時凡子(ときみなこ)さんが宝塚歌劇と出会ったのは1952年、高校3年生の時だった。初観劇で宝塚ファンになった彼女は、すぐにタカラジェンヌを目指したという。幼少期から宝塚歌劇と出会うまでのお話を伺ううちに、私はこう思うようになった。

「タカラジェンヌを目指す『下地』のような体験は、宝塚歌劇の初観劇よりも前にあったのではないか」

宝塚歌劇団の第40期生、娘役として活躍していた時さんは、「ぼんこさん」の愛称で親しまれ、宝塚歌劇団を卒業後に結婚して渡米した。現在も、ロサンゼルスで暮らしている。

お父さん、お母さん、2人のお姉さんという、5人家族の末っ子として生まれ育ったぼんこさん。よく覚えているのは、映画鑑賞へ出掛けていくお父さんの姿だという。

「父は、アメリカ映画が大好きでね。まだ小さかった姉をおんぶして、夜遅くでも電車に乗って、映画館へ行っていたの」

お父さんは、当時、絶大な人気を誇ったロバート・テイラーさんをはじめ、お気に入りの映画スターのブロマイドをたくさん集めていたそうだ。日本でも出回っていたというそれらを調べてみると、白黒写真とは思えないほど華やかなブロマイドの数々があった。ぼんこさんのお父さんの宝物がこの中にあるかもしれないと、私の想像は膨らんだ。今のようにインターネットで手軽に情報収集ができなかった時代に海外の俳優の写真を集めるのは、とてつもなくわくわくする趣味だったに違いない。

しかし戦争が始まると、お父さんのような日本の人たちがアメリカ映画を鑑賞する機会は失われた。娯楽作品、特に敵国の文化を楽しむことが禁じられるようになったからだ。