お母さんはとっても綺麗な声で歌う人

ぼんこさんのお母さんは、アメリカ映画が大好きな夫を、どのように見ていたのだろう。

「母はね、とっても綺麗な声で歌う人だったの」

お母さんは東京の音楽学校(学校名は分からないとのこと)の卒業生で、歌が大好きな人だった。

「ごはんを作りながら、お茶碗洗いながら、『ふんふーん』って歌ってね。それを真似して、私も歌った」

お母さんが口ずさむのはイタリア歌曲や日本の唱歌だったというから、ぼんこさんたち姉妹は、本格的な音楽を日常生活の中で学ぶことができたのだろう。

そんなお母さんは当然、芸能や音楽のことに詳しかった。後にぼんこさんが夢中になった宝塚歌劇のことも昔から知っていて、タカラジェンヌを目指す娘を応援してくれたという。お父さんの映画鑑賞にも、楽しくお付き合いしていた姿が想像できる。

一方でぼんこさんの記憶にあるのは、戦時中のお母さんの姿だった。

疎開先で食べ物が不足した時に、お母さんは凄まじい勢いで、毎日の家族の食べ物を用意していたという。少しのお米にさつま芋やとうもろこしを混ぜ込んでかさを増し、かまどに火を起こして一日中、食事の支度に明け暮れた。

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また、お父さんは防空壕を掘り、一家がなんとか生き延びるため、身を粉にして働き続けた。

「2人とも、どんな時でも『大丈夫だよ』って笑ってくれていた。だから姉も私も、泣くより、笑って過ごすことが多かったわね」

アメリカ映画と音楽を愛した両親の明るさは、戦争中でも失われることなく発揮されたのだ。やがてタカラジェンヌとなるぼんこさんの素地を、お父さんとお母さんのありように見つけた気がした。