イラスト:丹下京子
孫が生まれることを喜ぶよりも、自分が世話をしてもらう時間が削られるのが心配。そんな親のためによかれと思ってしたアドバイスも激怒された。中野めぐみさん(仮名)は両親のふるまいに疲れ果てて──(イラスト=丹下京子)

お母さんはかわいそうな人

12年前、隣の市に住む実母から、頻繁に電話がかかってくるようになった。それまでも、日々のつれづれを語る一方的な電話はよくかかってきていたが、そのころには、回数が1日3回と、定期連絡めいてきていた。めまいや手の震えがひどいらしい。

近くの医院で診てもらうと、「本態性振戦」と診断が下されたそうだ。いかに具合が悪いか、子どもに頼れなくていかに心細いか、自分がどんなに頑張って日常生活を送っているか、延々と私に言い聞かせる。

69歳の母は、75歳の父と2人暮らし。子どもは私と姉の2人で、それぞれ違う市に嫁いでいる。母はかねて、「私とお父さんは、2人で暮らしていけるだけのものは十分持っているし、あんたたちに迷惑をかけるつもりはない」と豪語していた。そのあとに、「だから、あんたたちは親に頼ることなく、自分たちの力で生きていって」と続く。

言われるまでもなく、頼るつもりは毛頭ない。孫のお守りをしてもらったことも、生活費の援助を願い出たこともない。母は私たちから助けを求められることを極端に嫌がったし、何より私たち姉妹が婿をとらずに、他家に嫁いだのを許していなかった。

「外孫の面倒なんて見たくない。見る甲斐もない」

「どうせ私たちに何かあっても、誰も助けてくれない」

聞こえよがしに言って、私たちがどんな表情をするか横目でうかがう。人にバツの悪い思いをさせるのが、この人の大好きな遊びだった。

その日も、ひとしきり愚痴を言ったあと、本態性振戦の症状がいっこうに改善しないので、一度、私の住む市内の大学病院に検査に行きたいと言う。母はこういう時、「あんた、ついて来てね」などとは言わない。私が「一緒に行くよ」と言い出すのを待つだけ。娘に迷惑をかけるつもりはないが、子どもが勝手に親の心配をするのは当然だという認識なのだ。

母は、父との見合い結婚は不幸だったと言い続けてきた。婚家では明治生まれの姑が辣腕を振るい、父は完全に頭を抑えられていたのだ。祖母はお金に細かく、嫁である母の給料まで管理したそうだ。

うるさい姑に、頼りにならない夫。けれど「あんたたちがいたから、我慢してこの家にいたのよ」と、私たち姉妹に飽かず言い続けた。小さな子どもの柔らかい、何でも吸収する心に、「お母さんはかわいそうな人。私たちのために、いっぱい我慢している。だから、お母さんに優しくしないといけない」と、植えつけてきたのだ。

母は、私か姉に婿をとることを望んだが、私たちはそれに応えなかった。その代償として、日ごろの愚痴を聞くことや診察に同行するくらい当然の「恩の返済」だと私たちに思わせた。